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断片的、あまりに断片的な

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金沢珍・貧旅行Ⅴ(最終回)

財布を落としたであろう電車が「糸魚川」駅に着くのは1時間後。ちょうどそれぐらい時間が経ったとき、われわれが乗っていた「松本」行きの電車が、「白馬」あたりで5分少々止まるというので、これはチャンスと電車を降りて「糸魚川」駅に電話。停車時間が少ないので私もあせってしまい、支離滅裂な説明になったかとは思うが、それにしたって話のラチがあかない。「ですから車内に・・・」「あの~確認しときますけれど、こちらは糸魚川のバス会社なんですけど?」、ウワ~やってしまったスミマセンスミマセン、といったところでタイムアップ。慌てて電車に戻る乗る。結局財布追跡は一歩も進展せず。車中で電話しようにも、電波が曖昧かつ電車の音がうるさい。ここであせったって、駅に届いていれば財布は逃げないし、届いてなければそれまでさ、と持ってきた本を読み始める。

森達也の『放送禁止歌』、映画の方は見ていないけれど、ドキュメンタリー撮影を通して、自分のポジションや社会に対する眼差しを問うという、いつもながらの軸がしっかり貫かれている。そして「物語」として面白い。岡林信康に会えるか?話を聞けるか?というラインは、やはりハラハラさせられる(結局会えなかったのだけど)。


14時頃やっと「松本」に着き、改めて今度はほんとにJR「糸魚川」駅に電話。ストレートに「財布の忘れ物届いてません?」と聞く。余計な説明はしないに限ります。「どんな財布でしょう?」と駅員さん、この答えからして、誰のかわからずとも財布が届いているという事実ははっきりとしたし、まぁ私のものに違いあるまいと心の中ではしゃぐ。中身にどんなものが入っているかを説明すると、私の財布で間違いなかろうとのこと。お金も無事だったのである!我が家まで郵送してもらうよう話をつけて、ほっとしたのも束の間、慌てて「大月」行きの列車に飛び乗る。そうそう、切符はきちんとバッグに入れていたのは不幸中の幸いでした。

財布があったのはいいが、新たな不安材料が浮上。台風である。「大月」行きの車内でも、状況によっては途中駅で止まることを了承せよとのアナウスンがたびたび入る。確かに、長野県に入ってから雨が降り出していたのでちょっと心配ではあったのだが、「ま、大丈夫でしょ」などと、これまでのあせりっぷりは何処へやら、手のひら返したようにリラックス。サンドイッチをモグモグ(200円)。順調に電車は走る。しかし、甲府を過ぎ、大月まであと少し・・・・・・「塩山」駅でストップしてしまった。これ以上進めないので折り返し運転を行うということ。「塩山」ではそれほど雨が降っていなかったので、乗客は皆一様に「信じられない!」といった表情をしている。こういうとき、乗客たちのやり場のないムシャクシャした感情が駅員さんに向けられてしまうのは、本当に気の毒。
ちょっと心もとない雰囲気の「塩山」駅にいてもしょうがない。「甲府」まで戻れば、時間はかかってもなんとか他のルートで帰れるかもしれないということで、「甲府」に舞い戻る。
駅は大混雑、改札付近にも人が溢れ、すぐには出れそうもなかったので、立ち食いソバ屋でうどんを(350円)食べて、混雑が緩和されるのを待つ。
しかし、他ルートもダメ、高速バスももちろんストップ。本日は絶対に帰れないことがわかった。会社に電話、そして本日の宿を確保するためにあらゆる宿に電話。しかし手軽なビジネスホテル系は全て満室で、貧乏旅行だったはずが、旅館に宿泊するハメになってしまった。「18切符」は基本的には1日券だが、駅員さんに頼んで明日も使えるようにしてもらう。駅前で飲み物や軽食を買い(1000円)、タクシーに乗る。地図で見たら駅から近く見えたが、結局タクシー代1人1000円程で「楽水園」さんに到着。急な宿泊となったので、夕食は抜いてもらい、宿泊料は7000円となった(安い、けどね)。せっかくなので甲府ワインと、富士山湧水使用の梅酒をいただく。台風の中の露天風呂もなかなかオツでした。

フロントからの電話で目覚めた朝。朝ごはんを食べ、また温泉に入り出発の準備を整えるが・・・。う~ん・・・化粧ポーチがナイね。連れには黙っていたが、自ずとテンションは低くなる。中身はどうでもいいんだけれど、だらしない自分に自己嫌悪である・・・。旅館の方の「40分くらいかかると思うけど大丈夫?」との一声を背に、「甲府」駅まで歩く。車がビュンビュン走る大通りばかりだったので、おもしろくない甲府までの道のり。なんだかんだで、駅に着いたのは昼の12時くらいだったが、まだ通常運行ではないという。しかし、ともかく「大月」までは走るというので、少しでも前進しようと、列車に乗り込むことに決める。

改札付近では、おばちゃんが「甲府で待機してる方がいい?それともとりあえず大月まで行ったほうがいいの?どっちなの!?」と駅員さんに詰め寄っている。「大月」から先に進める保証はこの時点ではなかったので、「それはお客様の判断で・・・」と冷静に対応していた駅員さんも、ギャーギャーうるさいおばちゃんに業を煮やして「私だったら大月まで行きますよ!!私だったらね!!」と叫ぶ。「あーそう、そうなのね」とうなずくおばちゃん。まったく、それぐらい自分で判断しなさいよ、誰かのせいにするための保険かけるな。

列車はダラダラと進む。途中駅で止まることも多かったが、それでも「大月」を超え、「高尾」まで列車は走った。そこから中央線に乗り換え最寄り駅へと。長い、長い、金沢旅行が終わった・・・。目標は20,000円だったのですが、もろもろ含め約32,000円ほどの旅でした。

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ところで、本当に写真を取りまくった私。海外でも、とにかくカメラをパシャパシャする日本人観光客の態度が、ステレオタイプとして揶揄される。ちょうど読んでいた佐藤直樹『「世間」の現象学』によれば、「世間」という曖昧な世界で、本音と建前で生きる日本人は、言葉以外のもの(表情、身振り、言葉の真意・・)から意味を読みとる。つまり、あらゆるもの、なんとはない風景も読み取り可能な「意味」に変換してしまう。バルトは、ただただ風景や自然、物を描写する日本の俳句に驚き、「この国はどんな場所においても、空間の特殊な構造化がおこなわれている」と述べている。あらゆる風景につねに「意味」が強いられる、読み解くことを強いられるのが日本、つまり「世間」であり、日本で散歩が成立しにくいのは、「風景があまりに『意味』にみちみちていて『うるさい』から」であると佐藤はいう。

赤瀬川源平らの「路上観察」や、みうらじゅんなどの写真を使ったパフォーマンスをはじめ、90年代の「ガーリーフォト」、雑誌などの読者投稿による「おもしろ看板・風景」写真コーナーもめずらしくない。
私は今回の旅で、150枚ほどの「意味」を撮影したのだった。

※後日談:財布は2日後に「糸魚川駅駅長」から届けられました。本当にありがとうございました。

それから、さきほど旅行に使ったバッグを片付けていたら、化粧ポーチ発見しました・・・。もう旅から1週間以上経ってます。どっちにしろだらしない。

【完】


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