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断片的、あまりに断片的な

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煙草にまつわるエトセトラ

 どんどん煙草を吸う場所がなくなっているこのごろ。愛煙家の皆様いかがお過ごしでしょうか。嫌煙ブームについてはいろいろ言われているので、ここでは断片的に、あまりに断片的に煙草や喫煙所にまつわる話をいくつかしようと思います。

a8003e5b.JPG 守るか守らないかは置いておくにせよ、現在、駅のホームや学校、会社では喫煙者は喫煙所に囲いこまれる。私が在籍する学校では、灰皿が置いてある場所一帯が喫煙スペースとなっていたのだが、今年から黄色い線できちっと喫煙所が枠取りされ、「そこから出るんじゃない」とのこと。
 と、こんなバカバカしいことはさておき、喫煙所に集う人びとはちょっと不思議な知り合いである。以前ミクシイで、「通勤電車の不思議な仲間たち」について書いたのだが、それと同様に、例えば私が使用する駅のホーム(JR)には煙草所は一つしかないから、喫煙者は毎日そこにやってくる。とりわけ朝だと乗る電車を決めている人が多いから、同じ時間に同じ場所にいつもの人びとが集まってくることとなる。話かけたりすることはないが、なんとなく心の中では「あ、どうも」なんて言っていたりする。このような知り合いに、別の場所で遭遇した際に、つい挨拶してしまった、なんて話も聞く。
 ちょっと話はずれるのだが、JRに女性専用車両が導入直後は、駅員さん(?)がプラカードを持って、女性専用車両の案内を行っていた。導入直後だから、女性専用車両に間違えて乗ってしまう男性も多く、それを注意するためでもある。わざと乗る人もむろんいたが・・・。
駅員「降りてください」
男性客「ハイ」
(と降りる。そしてまた別のドアから乗る)
駅員「降りてください!!」
男性客「ハイ」
(と降りる。そしてまた別のドアから乗り込む・・・。ついにその男性客をひっぱり出す駅員)
 このような女性専用車両への不審者チェック要員がホームに配置されてから数週間後、ある男性客がチェック要員に話しかける。「で、これっていつまでやるつもりなの?」「いえ、女性専用車両はこれからずっとやっていきますので・・・」「そうじゃないよ、アンタらがいつまでここに立ってるかだよ!!」。
 チェック場所はちょうど喫煙所付近。であるが故、チェック要員は9時からの喫煙タイムの取り締まりもなんとなく行っていた、というよりか立っているだけで駅の法である。「アンタらがいるおかげで9時前から煙草吸えないんだよ、バーロー」というわけである。ちょっと笑ってしまった。

 職場にも通称阿片窟と呼ばれる喫煙所があり、仕事では全くからまない別の部署の人びととの交流の場としても機能している。それぞれの階に喫煙所はあるのだが、わざわざ別の階に吸いに行く人もいる。当然噂話には事欠かなく、どこよりも早い人事情報が流れ、部長よりも先に阿片窟メンバーが人事発令を行う場合もある。
 とはいえ、1人ゆっくりと自分の世界に入りながら煙草をくゆらせたい時もあり、そういうときはため息をついてみたり、眼を閉じたり、頭うなだれたりといった演技を行う。自分1人になるために要求される演技である。
 
 一昨年のアメリカ旅行では、何日間かユースホステルに滞在した。部屋は禁煙。まぁ普段だったらそんなことお構いなしに窓を開けて吸ってしまうのだが、同室者たちがみな嫌煙家だったので、しぶしぶと喫煙ルームに行くことに。1人でおっかなびっくり喫煙ルームに入ると、もうもうとした煙の中でみな宴会中。私もその宴に参加して、共同冷蔵庫で冷やしておいた私専用の大量のビールをみなにふるまった。その部屋にはCDラジカセと大量のCDが置いてあり、宴はおのずとダンスパーティへ(さすがにボディタッチ激しい!!)。アバなんかをかけてワイワイやっていると、40代、50代らしき人びともノリノリで参加してきた。煙草を介した交流である。同室者は、煙草吸うと出て行って何時間も帰ってこない私を心配していたらしいが・・・。
 ジム・ジャームッシュ監督の「コーヒー&シガレッツ」では、コーヒーと煙草を介した人びとの会話が十数シーン描かれる。かみ合わなかったり、ケンカ越しだったり、まったりとしたり・・・。多くのシーンで、白黒チェックのチェス盤の模様のテーブルが使われ、それを上から捉える映像が挿入されるのだが、そのテーブルに無造作に置かれたコーヒーカップや煙草が、なんだか会話というゲームの駒のように見える。ジャームッシュによればその模様が「美しかったから」だそうだが。
 斉藤孝と倉田真由美の対談集に「喫茶店で2時間ももたない男とつきあうな!」というのがある。お酒やリクリエーションなしにどれだけガチンコ会話を楽しめるかということらしいが、それでもコーヒーと煙草はある、のである。

 現代の社会で浪費(祝祭・贈与的な:引用者注)がほとんどなくなているというのは、それほど確実ではない。その反論として、煙草という無駄な消費をあげることができるだろう。・・・・(略)・・・
 ある意味で共同の喫煙室は、祝祭に劣らず共同的なものだ。・・・他方で、祝祭は特定の時間だけに制限されるが、煙草は朝から晩まで、いつでもふかすことができる。こうした散漫さのために、喫煙はだれにでもできるものとなり、そこに意味が生まれないのだ。喫煙する多くの人が、そのことをいかに認識していないかは、驚くほどだ。これほど把握しにくい営みはない。(バタイユ「呪われた部分 有用性の限界」)

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