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断片的、あまりに断片的な

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ウミ「さん」

人はさまざまな「社会」と関わっているが、それぞれの社会で異なる呼び方をされていることも多いと思う。私の場合、職場では下の名前を「ちゃん」付けされる方が9.5割。たまに苗字を「くん」付けする方もいるが、そう呼ぶ奴はいつだっていけすかない。

欧米と比べてファーストネームで呼び合う習慣がない日本においては、どう呼ばれるかは親密度のバロメーターになったりする。特に中・高などの若き頃の友人関係や、恋人同士などでは下の名前を呼ぶ、あるいは呼び捨てにすることが親密度の高さとして認識されていると思う。社会心理学ではこれを「急な親密化」といって、「恥じらい」が発生する場とされている。もちろん、欧米の研究ではあまり明確にされていないようだ。
 
「親密化」ではなく、呼び方による「疎外化」で思い出されるのが小学校の頃の経験だ。小学校に入学したばかりのころ、同級生のある女子グループから「ウミさん、ウミさん」と呼ばれ、それまで「さん」付けで呼ばれたことなどなかった私はたいそうびっくりしてしまった。いつもカワイイおべべを着て、物腰も柔らか(に見えた)の彼女ら。保育園育ちだった私は、幼稚園卒の彼女らにそんな呼び方を、子ども心ながら「育った環境でこうも違うのか・・・」などとカルチャー・ショックを受けたものである。その小学校には、私と同じ保育園から上がったものはおらず、誰一人知っているものがいなかったこともあって、余計にその初めての呼ばれ方が「よそよそしいもの」として強く意識されたのかもしれない。

この小学校には、1年の1学期、つまり4ヶ月ほどしか在籍しなかったが、あまりいい印象はない。別に村八分にされたりしたわけではないけれど、教室で妙に浮いているような気分だった。もちろん、今そのクラスの人を誰も思い出せないのは当然だが、転校まもなくも思い出すことはなかったと思う。まぁ、7歳のときの4ヶ月だけの付き合いということもあろうけれど。

だけどびっくりだったのが、その4ヶ月間同じクラスだった同級生に高校で再会したことだ。もちろん私はそんなこと知る由もなかったが、知り合って1年くらいした頃に向こうからそのように打ち明けられた。その事実には(そしてそれまで黙っていたのにも)びっくりしたけれど、こちとら誰も覚えていないのだから打ち明けられてもピンとこない。家に帰って入学時の集合写真を見ると、確かに彼女も同じクラスの一員として一緒に映っている。「あぁ、あの『サン』付けお嬢様軍団の一人じゃんか・・・」とその写真を見て彼女のことをなんとなく思い出すと同時に、あの4ヶ月間のことが思い出されたのだった。

ずーっと耳が痛かったこと。忘れ物をし一度家に取りに戻ってから登校したら門が閉まっていて、中ではみなが運動会の練習をしていて(ということは運動会をやったんだなぁ・・・)、ひどい疎外感を覚え泣きながらまた家に帰って、でもこんなこと母親に知れたら怒られるから、そっと電柱の影から、母が妹の手を引いて保育園に行く後姿を見届けて(そのとき妹が背負っていたリュックサック、そこにつけられていたバッジも鮮明に覚えている)、まだ家でのんびり(?)している父に泣きついて、学校まで送り届けてもらったのだった。

あとは学校から学童へ向う途中にある古い民家の花咲く庭に、勝手にフラフラお邪魔して遊んでいたこと。何回か不法侵入するうちに、その家に住むおばあさんと知り合いになって縁側でお話したりしたものだ。「今度引っ越すの」と言ったら、庭の花をくれた。

「ウミさん」といって思い出されるのはそんななんだか切ない話。もちろん、今そう呼ばれてもなんとも思わない。また、苗字をサン付けして呼び合う仲を、「仲が良いのになんでそんな呼び方するの?」と第三者から不思議そうに訊かれたが、「ファースト・ネームを呼び捨てにすれば親密ってわきゃないだろう!」ことをもう知っている。

(役割ー関係性―で呼び名を変える・・・子供が生まれた夫婦はお父さん、お母さんと言い、年を摂ったり孫が生まれればおじいさん、おばあさん。ちょうど今日ゼミの発表で、日本人特有の、役割―関係性―による「顔」の使い分けについて話が出たところだった)
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