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断片的、あまりに断片的な

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かつての私の、若き「孤独」

持参した本を読み終えたので本屋に行ったのだが、何を思ったか「整理術」系の本を買い、車中で読む。社会学者の伊奈さんは、「(思考の)整理術」系の本はだいたい手にとってみると書いていたが、なるほど目からうろこの参考になることが多々あった。まんまと感化されて、地元の文房具屋で「整理」用品を買い求める。

学部の頃、読んだ本のレビューというか感想文をノートに手書きでつけていた(book of booksという洒落た?タイトル)。字が汚くて読めなかったり、2,3行のレビューだったり(難しすぎたのだな・・・)、内容が全く思い出せないものも多々ある。「レポートのために有り金はたいて泣く泣く買った」などとどうでもいい情報から、「えーこんなこと考えてたんだ~」と思わせる文章もありでたまに読み返すと面白い。


特に、今も昔も否定的に捉えていると思い込んでいた本を、かつての私は大絶賛していて、それが全く理解できず。「若い」とか「青い」とかのレベルではなく、本当に理解できない。ああ、もうあの頃の感覚を思い出せなくなっているのだなぁとしみじみ思うのだった、それは当たり前なのだろうけれど。改めて「若者」ではないと思うのです。


で、そんなbook of booksのなかで、ジョイスの『若い芸術家の肖像 』の文が長々と引用されている。「孤独」についての対話。やっぱり、現在進行中の「孤独」プロジェクトを考えてしまう。何が「孤独」か、という話にどうしたってなるのだけれど、このbook of booksをパラパラめくっていると、「孤独」という言葉にひきつけられたり、そんな思い込みが激しくなる時期ってのは確実にある、と思わされる(・・・モロモロの犯罪・・・)。それこそ今の私からしたら「なに、ナルシスティックに悲劇のヒロインぶってるの!」と言いたくなるのだけれど。

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――君はぼくに、ぼくのいだいている恐怖を告白させた。何を恐れていないかも言うよ。ぼくは一人きりになることを恐れていない。他人から追い払われることを恐れていない。別れなければならないどんな者とも別れることを恐れていない。それにあやまちを犯すことも恐れていない。どんな大きなあやまちだろうと、一生続くあやまちだろうと、永劫につづくあやまちだろうと。

クランリーはまた真面目になって足どりをゆるめ、こう言った。
――一人きり、まったくの孤独。それを恐れないというわけだね。この言葉が、どういう意味なのか判ってるかい?ほかのみんなから離れるだけじゃなく、一人の友達だっていないんだぜ。

――ぼくはその危険を冒すつもりだ。
とスティーヴンは言った。

――誰一人いなくなるんだよ、
とクランリーは言った。
――友だち以上の存在、この世でもっとも高貴で真実の友以上の人さえ持てないんだよ。

その言葉は彼自身の本性の深い所にある琴線に触れたようであった。自分のことを語っているのだろうか?自分がそうなりたいと思っている自分のことを言っているのだろうか?スティーヴンは黙ったまましばらく彼の顔をみつめた。冷たい悲しさがそこにはあった。自分のことをいっているのだ。この男が恐れている、この男自身の孤独について語った言葉なのだ。

――君は誰のことを言っているんだい?
とやがてスティーヴンはたずねた。

クランリーは答えなかった。

ジェイムス・ジョイス『若い芸術家の肖像』

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