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断片的、あまりに断片的な

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「半ドン」の感覚

土曜日は休みではなく、職場にゆく。でも、やはり土曜日の職場はどことなくフワフワ、のんびりしている。別段人の数が少なくなるわけでもなし、お偉方がいないわけでもなし、仕事量が減るわけでもなし、なのだが。土曜日=「半ドン」感覚が身体に染み込んでいる、プレ「ゆとり教育」の我らたち。

 だからそんな土曜日は、弁当を作る&食べる気にもならず。そしてちょっと足を延ばしブラブラ10分くらい歩いて、昼ごはんを食べに行く。こんなリゾート・チックなお店、「アジアン・パーム」に。
タイ料理が主なんだろうが、生春巻きとか、マーボウ豆腐らしきものとか、厚揚げの炒め物とか、アジアン多国籍料理の食べ放題の店である。
店先で優雅に食事を取っている人や、ビールを飲んでいる人も多い。そんな人たちを目の当たりにすれば、当然「半ドン」フワフワ感覚が強まるってもんである。「帰りたくないよう、ビール飲みたいよう、眠たいよう」などとぐずり、結局1時間半くらいのランチとなる。


「ゆとり教育」の一環である完全学校週5日制が実施されたのは2002年からだから、小中高のまるまる12年間を「ゆとり教育」で育ったものはまだいない。だが、中・高と、最も学校(とは限らないのだが・・・)で「お勉強」しなければならない時期に、完全5日制で育ったものには「半ドン」感覚は希薄だろう(私立はまた別だが)。5日制の是非はともかく、この「半ドン」感覚を全く経験したことのない人たちも出てくるのだなと思うと、不思議な気持ちになる。

諸説あるようだが、「半ドン」のドンとは、オランダ語で日曜日あるいは休日を意味するzondagが訛ったというのが有力らしい。午前中で仕事や学校が終わる土曜日は、まさに「半分休み=半ドン」だったというわけだ。私の土曜仕事は決して午前中で終わるわけではないが、時間軸的な「半分」ではなく、気分的な「半分」、「半ば仕事」(いいのか・・・)へと変換された「半ドン」は、いまだ身体から離れない感覚なのである。

平日から休日への移行期間、境界の時である。文化人類学には「リミナリティ(境界性)」という概念があるが、この過程期に熱狂や興奮、つまり祭りが導入される。バブル期の言葉、「花金」なんてのがその最たる例だろう。死語となったというが、やはり金曜日の居酒屋はすぐにぎゅうぎゅうになっていて、街も騒がしい。


ただ「花金」の場合、その日常から境界への移行は一つの流れというよりも、早急な切り替わりとしてある(昼間はバリバリ)。緩やかな祭りといった「半ドン」感覚は、休日前だからといって生じるわけではない。
ゆるやかな興奮を促す境界性=「半ドン」の土曜日、あのカレンダーの青い曜日こそが、「ゆとり」だったし、私にとっては、今でも、まだ、そうなのである。
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