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断片的、あまりに断片的な

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見世物小屋@新宿花園神社

先日、新宿花園神社の酉の市にいってきた。酉の市は江戸時代から続く年中行事。「戦勝」の武神として祀られていたヤマトタケルの命日(11月の酉の日)に、江戸時代に入ってから盛大に祭りが行われるようになり、「戦勝」転じて、今日では開運招福、商売繁盛を願う祭りとなっている。

花園神社前の通りにも屋台が出ておりかなりにぎやか。境内は「え!?こんなにここ広かったっけ??」とびっくりしてしまうほど屋台がひしめきあっていて、とりあえずグルグルしてみたがちょっとした迷路のよう。ブルーシートや椅子に模したビンビールケースで作られた簡易居酒屋もたくさん。学祭を思い出してしまう。


こういうシマの「儀礼」にはしっかり参加するのが、深作欣二の映画に出てくるような方々である。奥の方の簡易居酒屋では、ビシッと黒いスーツを着こなしたそっちの方がたが一列に鎮座し、神妙な面持ちでビールを飲んでいた。恐らく参拝も済ませたのだろう。さ、さすがに写真は撮れなかったす。そんな恐怖のストリートも無事に通り抜け、「それにしても、見世物小屋はどこだろう」と思っていると・・・。
「みなさんがた、可愛そうなのはこの娘でござ~い。この娘の生まれは北海道。十勝の国、石狩の上流で生まれまして、ある日父さんクワにてマムシの胴体真っ2つ。マムシの執念子に報いましてできたのがこの娘でござ~い。当年とって18歳。手足が長く胴体に巻き付くという。大人は十銭、子供は5銭、片目は半額、孕み女は2倍だよ~。さぁさぁ寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」

出ました、見世物小屋の呼び込み(口上)と言えばコレ。江戸川乱歩の、ある小説の見世物小屋のシーンにこのセリフがあったのは覚えているのだけれど、まぁそんなシーンは乱歩作品にはよくあるのでどの作品だったかわからず。で、あがた森魚のアルバム『乙女の儚夢(ロマン)』に収められた、浅草の見世物小屋の口上を聴き取りして、字におこしてみた(良くわからんとこもあって、ちょっと修正してます)。今では上のようなことは、さすがに言っていなかったけれど、看板娘に「蛇食う女」がいるので、「可愛そうなのはこの娘でござ~い・・・」のセリフは健在であり、静かに感激していた。
残念ながら今回、小屋内での写真撮影は禁止だったので、他ページに載せられていた昨年の写真をお借りしてきた。最初は可愛らしい犬の芸や手品でほのぼの~としていたが、双頭の仔牛(?)のミイラが登場したり、巨大大蛇が舞台上に現われたり、次第に怪しげな方向へ・・・。そして、この見世物小屋の看板娘である、小雪太夫の蛇の踊り食いである。蛇の血も吸い尽くしていた、小雪さん。数年前に観客として見世物小屋に来て、お峰さんのこの蛇喰いの芸を見て感激し、「私もお峰さんのようになりたい!!」といってこの道に入ったようだ。現在ある見世物団体は、この大寅興行社の一社のみとなってしまっている。お峰さんの後継者どころか、見世物文化の生き残りがあやぶまれていたところに、彗星のごとく現われた救いの神である。

そのあとボスお峰太夫が、口から火を吹いたり、箱抜けの術をやったり。ステージの「はじめ」と「おわり」という概念がなく、芸人たちはルーティンでプログラムを永遠深夜2時までやり続ける。客は好きなときに入り、好きなときに出る。後払いで800円成。 寒い中、簡易居酒屋でビールと焼き鳥。小屋のすぐ隣だったので、「キャーー」とか「ウォッ」という観客の叫び声や、「可愛そうなのはこの娘で・・・」の口上を聞きながら。
見世物にはがっくりくるようなくだらない「ダマシ」芸と、さすがに今はそんなことはやっていないしできないが、小人や奇形、身体障害者による芸、あるいはその身体そのものを見世物にしていた(西洋化という背景のなかで、明治5年に畸形見世物が条例で禁止されたが、事実的な撤退は、反対運動が高まった70年代中期であるようだ)。そこにはレスリー・フィードラーが『フリークス』でいうように、見るものを非常にエロティックな気分にさせるものがあったはずである。それらの人びとが「究極の他者」だった時代。「全体的な肉体感覚において『知りたい』という誘惑をひきおこす」時代。もちろんそれは、「健常者」のフリーキッシュな望みにすぎないのだが(写真はトッド・ブラウニングによる『フリークス』(1932米)より)。


「見世物小屋」も時代に合わせて変わっていくし、またそうでなければ存続しえない。だが、「究極の他者」がいないことになっている今、何が「見世物」化できるのだろうか。代わりにそんな「見世物」はネット上にいくらでも溢れているのだろうが。 小雪さんが、鼻から口へと鎖を通したとき、誰かが「お笑いで見るようなやつだね」と囁いていた。芸のコンテンツや覗くべき「秘密」ではなく、怪しげな空間や芸人たちの様相(メイクや衣装)を、生き様を消費してもらうしかない。むしろ生き様が一番だったりするのかもしれないが。小雪太夫は今後見世物小屋をどのようにひっぱっていくのだろう。

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