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断片的、あまりに断片的な

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福富太郎『昭和キャバレー秘史』(河出書房新社1994)

c42de480.jpg 戦後すぐに16歳で銀座の喫茶店に勤務し、26歳にはキャバレーオーナーとして独立、その後「ハリウッド」チェーンを展開した「キャバレー太郎」の異名を持つ福富太郎さんによるキャバレーの社会史。戦後から60年代半ばまでの、キャバレー黄金期をつづったものである。

 キャバレーというと、客がダンスを「踊る」場というよりも、生バンドをバックにステージでの踊り子さんによるダンスショーなど見世物の類を「見る」場といったイメージが強い。キャバレーの本場、フランスの「ムーラン・ルージュ」の一大スペクタクルショーを想像する方も多いかもしれない。ビートたけしら芸人たちのキャバレー営業(前座)話、故・土方巽ら舞踏家たちが行ったど派手な金粉ショーも有名で、芸能者たちの登竜門、あるいは公演の資金繰りのための場として機能していたのは確かだ。
 「ショー」性以上に、すぐさまイメージしてしまうのが、キャバレー=ホステスさんの体をおさわりする(また自分の体もおさわりされる)性的サービスが提供される場という図式。しかし、福富さんはその(短絡的な?)図式を批判する。「大体、現在はキャバレー自体もまともに理解されておらず、キャバレーとは何ぞやということを知っている人は、ジャーナリストにもほとんどいない。・・・ミソもクソも一緒にしているのである」と。

 福富さんも説明しているが、キャバレーは風営法の規定によれば、客とホステスが踊れる空間(現行では66㎡以上)がなければならない「踊り場」であった。当時の踊り場といえばもうひとつ、ダンスホールがあげられるが、ダンスホールは基本的には飲食や接待の提供が認められていない。お酒も飲める、ホステスの接待も受けられるキャバレーは、風営法によって6つに分類された接待飲食店(ダンス関連営業)の中でも、最も営業許可がとりにくいのである。
 酒も女もあるキャバレーにおいて、次第にダンスの要素が薄れていくのは当然なのかもしれない。「男の子が女の子がしゃべると先生に殴られた。男の子はそういう教育を受けて軍隊に入った。だから、女の子のことを非常に神秘的に考えてしまう」と福富さんは回想しているが、そんな時代に男女が出会う建前を与えてくれたのがダンスの場だった。私がインタビューしたもう70歳近いお年の男性の方も、しきりと「ダンスがイヤでもなんでもそこしかなかったから」と仰っていた。そんな切迫した思いなどなく、「社交ダンスがダサイ」といえるようになるのは、60年代に新しい「若者」が誕生してからだろう。また、時代の流れとともに「女性の神秘」神話が徐々に解体されていくなかで、ダンスなんて甘っちょろいことでは満足しなくなってくる。60年代半ばからキャバレーは「ピンクキャバレー」と化すのである。和田平介さんの『キャバレー日記』(晩聲社1981)という80年代初頭のピンクキャバレーのルポルタージュでは、かなりいやらしい客とホステスの行為が描写されている(当時の給料明細、就業規則等々資料も豊富。絶版)。

tachikawa_tenpo.jpg ピンクキャバレーに嫌悪感を持っている福富さんは、ピンクキャバレーは団塊世代のはけ口として(赤線の代わりとして)政府に認められ、むしろ奨励された場所であるという。つまり、戦後のRAA施設のごとく、勢い余りあり反抗心を持て余している若者に性的欲求を満たせさせて、欲求不満からくる暴動を抑えようとした、というのである。真偽はわからないが、その男性的な発想に今さら驚きはしない。
 あまりにも性産業が発達した現在、(本当の)キャバレーに未来はないだろうと福富さんはあとがきで書いている。で、ちょっとキャバレーについてネットで検索してみたら福富さんが経営するキャバレー「ハリウッド」、なんと立川にもあった。さすがに銀座からは姿を消したようだが、都内には何店舗かある。
 19時までに入店して、1時間ビール3杯で3,150円。それが高いか安いかは人それぞれだが、もちろんショー・チャージ、指名料は別、延長料金は30分2,630円と当然割増だということをお忘れなく。

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