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断片的、あまりに断片的な

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ジョイス・シャルマン・ブニュエル『サルサ!』

物語は、ピアノコンクールのシーンから始まる。割れんような拍手でステージに迎えられたある男性。そして、「観客はミスを裁く裁定者のごとく」とグレン・グールドが嘆いたような、あのクラシック・コンサート独特のはりつめた雰囲気のなか、男はショパンの「革命」を弾き出す。うっとりと聴きほれる聴衆。が、突然男は演奏を止め、一息ついた後、体を上下左右に激しく動かしながら軽快なラテン・ミュージックを弾き出す。一瞬あっけにとられたのちブーイングする聴衆、深いため息をつく関係者たちを尻目に、その男は楽しそうにピアノを弾き続ける。

その男は若き天才ピアニスト、レミ。クラッシックピアニストとしての将来を期待されながらも、ラテン音楽への想いが沸騰してしまったレミは、ついにクラシックを捨てるという決意表明をその演奏会で行ったのだ。

その意志表明後、レミはラテン音楽の演奏機会を得ようとキューバ人の友人を訪ねるが、「なまっ白いお前がラテン・ミュージックを演るなんてお笑い草だ」などと軽くあしらわれてしまう。そこでレミは肌を小麦色に焼き、髪や鬚を無造作(ワイルド)に伸ばし、「ラテン」な派手なシャツを着こみ、キューバ訛りを体得し、「キューバ人」になって(実際、この変身ぶりにはけっこう驚かされる)、ラテン音楽やサルサを生活の中心としていく。
この映画の最も大きなテーマとしては、サルサを取り巻く人々(とりわけレミが惚れた女性)との交流によって、レミの「キューバ人」メイクはメイクでしかないことに気づかされるというもので、まぁよくある筋書きであるといえる。この手の筋書きだと、いかにも「本当の自分」だとか「フランス人たるアイデンティティ」を確認するストーリーだと結論づけたくなるが、そうではない。「キューバ人になる」という、あまりにステレオタイプ化されたラテン音楽・サルサを愛する態度を相対化しようとするのである。

キューバ人の友人たちも、レミが「キューバ人」になることに、「かっこいいジャン!」などとはじめは一緒に喜ぶが、次第に彼ら自身も一緒になってラテン音楽・文化、もっといえば異なる文化に対する姿勢を見つめなおしていくというのがポイントだ。そしてもちろん「お前、俺らが幸せだと思ってんのか?」と、表層的に見えるレミのラテン音楽の流用にもきっちり釘を刺す。

変身(「加速された成熟の過程」斉藤環)は、それが失敗していればただただ滑稽でしかない。たどたどしいキューバ訛りにそのキューバ人の友は笑う。だが、変身が完璧になればなるほどその作為性は高まり批判、あるいは恐怖の対象となる。完璧なまでに変身し得る、「奴」が「私」になれるというその可能性の存在に恐怖する。確固たるものとして認識されていた自分のアイデンティティが脅かされるからである。

最初は笑って「そのかわいい白い肌~」なんて、その差異をからかい・冗談のネタとしていたキューバ人も、次第に「俺とお前は違う」ときっぱりといい始める。その差異は冗談なんかではないと宣言せずにはいられなくなってしまったのだ、と思う。自分がある文化を愛するというポジションを問う。その文化を享受する自分の態度を問う。これは「キューバ人」になることを通して、レミの前に突きつけられた問であり、「キューバ人」になろうとするレミを前にしたキューバ人の友人が問うことでもある。

何十年も前にフランス人女性と大恋愛したが、その後はなればれになり何十年も独りで暮らし続けてきたというキューバ人のサイドストーリーがイイ。彼は、レミの変身ぶりをはじめから不安そうに見ている。だけど、「己のまま愛せよ」なんてことは決して言わない。自分もおそらく、フランスにいるキューバ人という自分のポジションと葛藤してきたであろうから、レミの葛藤ぶりをただただ傍らで眺めている。



"SALSA!"

1999年/フランス・スペイン
監督:ジョイス・シャルマン・ブニュエル
出演:ヴァンサン・ルクール、エステバン・ソクラテス・コバス・プエンテ

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