忍者ブログ

断片的、あまりに断片的な

Home > ブログ > Book/Study/Work

「世間」のディスクール・断章

学内誌用の論文というかエッセイみたいなものを提出しました。少し前にブログでもアップした「世間」論をもとに、世間に関する15の断章ということで、チョコチョコと細かくカテゴリー分けされた私のぼやきみたいなものを書きました。文中でロラン・バルトを引用していることもあって、タイトルは『「世間」のディスクール・断章』です。バルト先輩の『恋愛のディスクール・断章』のもじりです。

この論文集は査読がないということもあって、「わたくしごと」のエピソードも書き添え、いただいたコメントなんかも参考にしながら、のびのび書いてやりました(もちろん、いい加減ということではないです)。

1、世間を騒がせる
2、恥
3、「社会」ではない
4、「理屈を超えた」掟
5、ケガレの排除
6、囲い込み
7、「空虚な行使」
8、「社会」の失敗
9、イベント
10、占い
11、遊び
12、「世間」と「社会」のあいだで
13、「世間」の肥大化
14、個性
15、「孤独」という方法
PR

世間とは何か―阿部謹也『「世間」とは何か』、佐藤直樹『「世間」の現象学』

「世間をお騒がせして申し訳ありません」。政治家や企業、あるいは有名人が不祥事を犯したときに使われる常套句、最近では食品関係企業のお偉いさんたちの使用が目立っている。ここで謝られているのは、彼/女らが起こした不祥事というより「世間を騒がせたこと」である。有名人の離婚やスキャンダルに大騒ぎするメディア。ここでもまた有名人は「お騒がせしました」と謝らなければならない、沢尻エリカのように。

「世間」を意識しているのはもちろん有名人に限ったことではない。結婚式、葬式、お受験、身につけるもの、食べるもの、付き合う人など、ありとあらゆる局面で人びとは「世間」を意識する。日本は「恥の文化」といわれてきたが、それは日本の「世間」ゆえである。世間体が悪いことは恥ずかしい。例えば小倉考誠は、フランスのマナーブックが会話の楽しみ方や食事のしかたといった社交(楽しみ方)について書かれているのに対し、日本のそれはほとんど「冠婚葬祭」やしきたりについてであるという。赤っ恥をかかないため、つまり世間体を保つためのマナーである。

このように、「世間」は日本独特なセカイのありようであり、欧米のセカイ「社会」とはまったく異なる。「社会」を形成する最小単位は“個人”であり、個々人の働きかけによって変えうるものとして「社会」はある。19世紀半ばに社会学が誕生し「社会」が思考の対象となるのは、産業革命やフランス革命をうけて、われわれが変え得るものとしての「社会」が意識されだしたからである。

それに対して「世間」の前提となるのは、「個人個人を結ぶ関係の環」である。「私」ではなく、隣近所や会社、学校などとの関係性が先にあるのである(だから、日本人のコミュニケーションにおいては「間」が重要なものとなる→木村敏)。そして、この関係の環は通常、「個人の意思でそのあり方を決められない」「所与とみなされて」いる。何を着ようが何をしようが誰と付き合おうが「別に・・・」などとツンとしてみようが、それは私個人の問題だといってみたところで、そうは問屋がおろさないのが「世間」なのである。そこには「理屈を超えた」掟があり、それは日本の伝統的な呪術的信仰=「ケガレ」観によるものだと阿部はいう。
      
民俗学的な概念として「ハレとケ」(非日常(祭)と日常)があるが、ケガレはこの「ケ」が汚れたもので、死、疫病、月経、妊娠または罪を犯すことによってその状態になると考えられてきた。このケガレは、個人的なものではなく、共同体をも侵犯すると信じられてきた(いる)わけで、だから「家族に犯罪者がいる女なんかとうちの息子は結婚させません」ということになるし、罪を犯したもの、ケガレたものは村八分にされるし、「『別に・・・』などと言い放つ女が出ている映画なんか見たくもない」ということになる(←しつこい)。このように、「世間は排他的であり、敢えていえば差別的ですらある」(阿部:18)

このような呪術的あるいは民間信仰は、ヨーロッパにもかつて存在していたが、13世紀にはキリスト教の支配とはたらきかけによって排除されていく。かわりに義務づけられたのが「告白」であり、これが個人を生み出す1つの契機となったわけである。「真実の告白は、権力による個人の形勢という社会的手続きの核心に登場してきたのである」(フーコー『性の歴史Ⅰ』)。だから、「世間」を気にした(呪術的信仰に支えられた)日本人の儀礼行為は、欧米人から見るととても奇妙なのだ。例えばロラン・バルトには「ふかぶかと身を折りまげる」日本の儀礼が、「空虚の行使」にみえるのである。

しかし日本においては、呪術的信仰=「ケガレ」観が、「迷信」や「しきたり」「俗言」として今なおわれわれの身体を貫いている。結婚式とあれば「仏滅」「大安」を気にするし、厄払いを行う人も少なくない。私が幼き頃に流行った(?)、「エンガチョ」といった妙な身振りも、触れると「鬼」になるという一連の遊びもこのケガレ観によるもので、排他的な「世間」の構造が、遊びのなかでしっかりと演じられていたといっていい。

そもそも日本のイジメはケガレの排除であるが、上のような一連の遊びのなかでイジメが演じられなくなった(消化不良)ことが、現代のイジメの醜さにつながっているのではなかろうかと思う。もっと身近な例でいうと、海外の人びとと比べ、なんとはなしに毎朝星座や血液型占いの類をチェックしてしまうのも、いまだわれわれの生活の中に呪術的信仰が潜んでいるがゆえといえる。

明治期に「社会」という言葉や概念が輸入され、近代化がすすみ、この「世間」は解体されるはずだったが、そもそも日本には「社会」の基盤がないので、「世間」のうえに「社会」ということばだけがのっかる形となった。「日本の歴史の中では、古いものが堆積し、整理されることがない。しかし、同時に新しいものもどんどん入ってくる。人々の眼は新しいものに注がれるので、古いものは見えなくなることがある。しかし古いものは消え去ることなく生き続けており、私達の行動を規定し続けている」(阿部:256)。

「世間」のうえに「社会」がのっかったセカイでは、人はその2つのあいだで葛藤する。森達也『放送禁止歌』で読んだことなのだが、被差別部落解放運動に参加していたある人(部落出身者ではない)は、娘から部落出身者と結婚したいと言われた後、自殺したという。これは、理屈のうえつまり「社会」ではなしえることが、理屈を越えた「世間」ではなしえなくなってしまうという、「社会」と「世間」の葛藤の末の自殺である。

佐藤は、90年代以降、「世間」は肥大化したと論じる。高度経済成長後、「世襲化」がすすみ、あらたな身分制度や階層秩序がつくりあげられていき、「中流」が崩壊する。このような流れは、「下流」論でもおなじみだろう。「個人の力ではどうにもできない」という閉塞感、「世間」の厚い壁が前景化される。

90年代後半には、「個性」や「自己表現」に煽られながらも同一化せずにはいられない若者たちのありようが指摘されたが、それはまさに「社会」と「世間」の要請の板ばさみになっていたといえる。阿部は、吉田兼好、井原西鶴、夏目漱石、永井荷風らの作品と実践をあげながら、彼らの「世間」を相対化する生き方――隠者として、「世間」ズレしたものとしての――を見る。「世間」のわずらわしさや「みんなと一緒でなければならない」という強迫観念は、“孤独”になって、そんな「世間」から距離を取らなければ逃れられない。“孤独”こそが、そんな寂しさから解放させてくれるといえるのだ。


松浦理英子『犬身』

また、通勤時に持ってきた本を読み終えてしまったので(やたらと長い注ページにまたまた騙された)、昼休みに、例の初台駅前本屋さん。ここでは、単純に「楽しむ」ためだけの本を買うのが楽しみ。何かに使おうとか、これ読まなきゃという本ではなく。溢れんばかりの「物語」を前にしてとてもワクワクするひと時。リラックスしながら10畳ほどの狭い店内を一周。すると、松浦理英子さんの新刊単行本『犬身』(朝日新聞社)が出ているのを発見。500ページほどのボリュームにもかかわらず、2,100円。つくづく文芸書って安い、まぁそれだけ学術書は売れないということだが。

松浦理英子氏は、単行本が出たらすぐに買う、唯一の文芸作家さんだといっていい。といっても、本が出るペースはとてもとてもスロー。前作『裏バージョン』が出たのは2000年だから、7年ぶりの新作である。帯には松浦氏の代表作である「『親指Pの修行時代』から14年!」と書かれている。父が、「これつまらん」といって半ば強引に『親指P~』を私に押し付けたのが14年前か、、、と。それを読んで以来、私は松浦作品を読み続けている。当初は父が「つまらん」と言ったのを読む、という反動だったのかもしれないけど。
 
松浦氏は、ジェンダーやセクシュアリティをテーマに作品を書き続けてきた作家だが、今回は、性同一性障害ならぬ、種同一性障害。カラダは人間だが、ココロは犬。そんな女性が登場する。まだ、ほんの20ページぐらいしか読んでないのだが、犬だけに、匂いの描写が強烈だ。しかも、相手の臭い匂い。腋臭、ほとんど掃除されていないおへそのゴマの匂い、ちょっとつぶれただけで激しい臭みを周囲に漂わせる膿の匂い・・・。女は、デブでぐうたらで無能な男に飽き飽きしている(何せ彼女は犬に欲望するのだし)。で、彼女と彼をつないでいるのは、そんな男の強烈な臭みなのだ。それだけかもしれない。この無臭時代にあって。

ところで、この本屋さんは先に言ったように、10畳ほどと狭い。店の半分が雑誌やマンガで占められている状況で、毎日たくさんの本が出版される状況で、この本が店頭に並べられていたのだ。ますます店主(じいさん)に魅かれる。

翻訳のこだわり?厳密さ?

翻訳本は注がやたらやっかいだったりする。作者がつけた注と、訳者がつけた注の2種類あったりして、ただでさえページを繰るのが面倒。ザクザク読み飛ばす場合もあるのですが。

で、今読んでる翻訳本は、講演会の記録ということもあり原作者の注は全くないのですが、訳注と、さらに訳者による補注という2段階の構えになっています。訳注はまぁ、用語の説明とか、歴史的背景の補足などでとっても参考になるのですが、補注というやつが「なんじゃこれ?!」でして。


この本は初訳が1955年、私は1996年に新装版として生まれ変わったものを手にしているわけなんですが、1996年の時点で、初訳を手掛けた方は亡くなっており、新装版は別の方たちがあれこれ手を入れています。そこでなんですが、まぁ良くある言い方として「○○氏の訳はとても素晴らしい。○○氏のこの訳のおかげでわれわれは多くを知ったというわけだ。だがしかし、○○氏にも若干の勘違いや誤訳がある」。ここまではいいとして、「で、われわれは直すべき箇所を補注でもって示すことにする」、と(つまり本文は1955年初訳のまま)。まぁ、これでも「そうですかー」なんて思った程度だったんです、はじめは。


で、読みすすめていくうちに、補注とやらにぶつかります。ページを巻末まで繰り、さて新訳ではどんな訂正がなされているのかなと思いながら補注ページを見るわけです。


旧「指摘し」→新「強調し」
旧「そむき」→新「おろそかにし」
旧「まず」→新「第一に」

・・・・まぁ、そりゃぁ意味やニュアンスは違うんだけど・・・これは補注としてやることか?というかですね、補注でチマチマ訂正するんじゃなくて、バッサリ新訳として改めていただきたい。先達の仕事に手は入れられないってことか。いろいろアカデミックなしがらみや事情があるのでしょうが、いただけない、実にいただけない。

そしてそして、さすがにズッコケてしまったのは、


旧「人間は」→新「人間とは」

返せ!巻末までページめくった私の時間返せ!
いや、違うよ、違うのはわかるんですけれど!知人同士で訳の見直し合いしてるんじゃないんですから!!

色っぽい文章

バルトの文章は読んでて贅沢な気持ちになる、そして色っぽい。

「私にとっては、ポルノ写真の映像にプンクトゥム(引用者注:刺し傷、小さなな穴、小さな斑点―その写真のうちにあって、私を突き刺す偶然)はない。その映像は、せいぜい私を楽しませるだけである(しかもすぐに倦きがくる)。これに反して、エロティックな写真は、セックスを中心的な対象としない(これがまさにエロティックな写真の条件である)。セックスを示さずにいることも大いにありうる。エロティックな写真は観客をフレームの外に連れ出す。だからこそ、私はそうした写真を活気づけ、そうした写真が私を活気づける。プンクトゥムは、そのとき、微妙な一種の場外となり、映像は、それが示しているものの彼方に、欲望を向わせるかのようになる(「明るい部屋」1985)」。

バルトの文章、それ自体がプンクトゥムな文章である。

学部時代に初めて読んだとき、その詩的な、「間」(あるいは外部)の多い文章に、読みづらさを感じたのを覚えている。「フランス的がすぎる!」。

随分前に読んだ本をひっぱり出してみる。「あのとき」、興奮した文章。「神話作用」を書いたバルトによる「脱神話化すること」というエッセイ(全文)。

「私は長いあいだ、自分のような平均的な知識人でも、集団的なイメージが怒涛のごとく押し寄せるのにたいして、情動の操作にたいして闘うことができるし、また、闘うべきであると信じていた(たとえそれが自分自身との闘いにすぎないとしても)。それを称して、脱神話化することと呼んだものである。私は今なお、あちこちで闘っているが、実のところ、先に述べたようには、もはや少しも信じていない。いまでは権力は偏在しているのだから(これは私の世代の人たちによる重大で、しかも不吉な発見だ――たとえ素朴な発見であるとしても)、いかなる党派の名のもとに脱神話化すればよいというのか。自分自身が操作のシステムの一部を成しているというのに、誰がその操作を告発するというのか。体制内に回収されていること、これが今日的な主体の定義なのかもしれない。そうなると、もはや残されていることと言えば、傍らの、他処の声、何処とも結びつかない声が聴かれるようにするしかないであろう(「小さな歴史」1996)」。

父の日

「嘘だい、そんなの」コルムは言った。
「作り話だよ」
「作り話?」とトランパーは言った。
コルムがそんな言葉を使うのを聞くのは初めてだった。
「そうさ」とコルムは言ったが、彼は何か別のことに注意を向けかけていた。
彼は父親に退屈していたのだ。
トランパーは何とかして場を盛り立てたいと、必死の思いだった。
「お前はどんな本が一番好きだい?」と彼はコルムに聞いたが、そう口にした瞬間思った
――なんてこった、自分の息子に向って世間話をしなきゃならないとこまで落ちぶれちゃったのか。
「うん、今でも『白鯨』が好きだよ」とコルムは言った。
父を喜ばせるためにそういっているのだろうか?
「あのお話、好きだよ」コルムは言った。
「でもやっぱりただのお話だよ」
息子と並んで桟橋に立ちながら、トランパーは突然出てきた涙を必死でこらえた。

ジョン・アーヴィング「ウォーターメソッドマン」

********************************************************************************
ヤキマの医者は父が精神病院に行くようにとりはからってくれた。
父と母は生活保護を受けることになり、群が精神科の治療費を払ってくれた。
精神科医は父に「大統領の名前は?」と質問した。
簡単に答えられる質問をしたわけだ。
「アイク」と父は答えた。
それにもかかわらず、父はヴァレー記念病院の五階に収容されて、
電気ショック療法を受けなくてはならなかった。
私はそのころもう結婚していて、もうじき父親になろうとしていた。
私の妻が最初の子供を出産するために同じ病院の一階下の部屋に入院したとき、
父はまだそこに収容されていた。
彼女が出産を済ませたとき、私は上の階に行って父にそのニュースを伝えた。
私は鉄の扉の奥に通されて、父のいる場所を教えられた。
父は毛布を膝にかけてカウチに座っていた。
俺の親父はいったいどうなっちまったんだ、と私は思った。
私は隣に腰を下ろして、彼に孫が生まれたことを知らせた。
父は少し間を置いてから、「そうか、俺もおじいさんだな」と言った。
それだけだった。
微笑みもみせず身動き一つしなかった。
彼は他の多くの人と一緒に大部屋に入っていた。
私が父を抱きしめると、彼は泣き始めた。

レイモンド・カーヴァー「父の肖像」

********************************************************************************
この時期、私にとって一番最悪だった時期を選ぶとしたら、それは、やはり、
父のネクタイを腕いっぱに抱えてどしゃぶり雨の中に出て、庭を超え表通りまで行って、
ネクタイを救世軍のトラックの後ろに放り込んだときだと思う。
ネクタイは百本以上あったろう。
その大半は、私も子供のころに見た覚えがあるものだった。
模様、色、かたち、それらが父の顔と同じくらい鮮明に、幼かった私の意識の中に埋め込まれていた。
それをいまこうして、まるっきりゴミみたいに他人にくれてやっているのだと思うと、
何だかたまらなくなってきた。
私が一番涙に近づいたのも、まさにその瞬間、それらのネクタイをトラックに放り込んだ瞬間だった。
棺が地中に降ろされるのを見るよりも、自ら父のネクタイを投げ捨てるという行為の方が、
埋葬という理念を具現化しているように私には思えた。
そのときはじめて、私は父が死んだことを理解した。

ポール・オースター「見えない人間の肖像」

現代風俗研究会

■現代風俗研究会で発表。3時間ちょいの長丁場。プレ発表した段階では時間が長くなりすぎて、当日は少しコンパクトにして行きました。結局自分の発表2時間ツッコミ1時間で、時間配分的にはまぁ良かったのではないでしょうか。
 いろいろと問題点は多かったし(ダンスと「踊り場」の話が絡まっていること)、説明の至らない点(「場」の様子が不透明なところ)も多々ありましたが、本当に良い機会を与えてもらいました。年度末の忙しい時期に足を運んでくれたみなさま、ありがとうございました。ゼミのYッシー、Tッキーにも感謝です。

■その後は、毎度恒例の料理屋「いり江」さんで「飲み」というかお食事。それぞれが定食を食べながらビールを飲むという普段の私にはありえないスタイル。この日は春のてんぷら御膳(一番人気!)をいただく。タラの目、ふきのとう、とっても美味でした!こごみもあれば完璧だったんだけど・・・。
 2軒目はうってかわって薄暗い洋風居酒屋でチーズをつまみながら飲む。日本酒→ビール→ビール・・・。音楽の話になり、あがた森魚の「赤色エレジー」のさわりをちょっと唄う。
 少しの解放感と多くの今後の課題を抱えて帰途。

■友人夫婦に第一児誕生!!早速写真を送ってきました(笑)。しっかりしたお顔で。名前は何になるのかな~。

トップページへ戻る

過去の文章

 友人たちが運営していたサイト用に書いた、大学卒業前の文章をリンクします。1年半ほど前パソコンが壊れて全てのデータが消えてしまったのである意味貴重な文章です。恥ずかしくてまともによめないけど、文体としてはあまり変わってないような・・・。

http://members.aol.com/archseminar/ecm-research/oto/others1.html

 アーサー元気ですか~

トップページへ戻る

ジョージ・オーウェルと先生と私

 先日、部屋の整理をしていたら学部時代のテキストが何冊か発見された。その中にまぎれこんでいたのがジョージ・オーウェルの英語の随筆集。大学2年の講読の授業で読んでいたものである。

b4cf37a9.jpg オーウェル【1903-1950】はインド生まれ、イギリス育ちの作家・評論家である。「中産階級の下」ながら、奨学金を得て有名進学校に進んだはいいが、ブルジョワとの違いをまざまざと見せ付けられ(なんといってもイギリスですから!)辛いハイスクール時代をおくる。その後大学には進学せず、ビルマの警察の職に就く。イギリス人警察官からすれば「従」である現地の人びとと日々接するなかで、帝国主義の醜さに嫌気がさし、パリ、ロンドンで浮浪生活。必死に浮浪生活をおくりながらも、「階層」が下の者に対する違和感はぬぐいされない。ご飯の食べ方や身だしなみの違い。それでも、上から下まで
一日中ティーを飲む姿にイギリスを感じとる。
 下層民に対する安易な同情や擁護ではなくて、あくまでも「上」にも「下」にもなれない「中流」の自分が捉えるサブの世界。「高慢ちきで見栄っ張り」「ぞっとするほど汚い」など素直な表現もポンポン飛び出す。
オーウェルはパリのホテルの厨房で働いていたことがある。そのゴミ溜めのような「戦場」では、皿の汚れはただナプキンでふき取られるだけ、隠し味は料理人たちの「つば」。最初は驚きゾッとするが、次第に自分の感覚も麻痺し「彼ら」の世界に入り込んでいく。そのタフでやるせない世界を、ほとんど省みられることのない「彼ら」の世界を描く。カルチュラル・スタディーズの源流ともいうべき視点である。

1984.jpg オーウェルの著作に初めて触れたのは、上記のように大学での講読の授業であった。必修で講読をいくつかとらねばならなかったのだが、とりたてて「読み込みたい!」と思うようなアテもなく、時間割のかねあいで選ばれたのが「ジョージ・オーウェル講読」だった。
 教室は小さな小さな会議室のような部屋で、受講者は10人程度。密な授業がスタートした。特にやる気もなかった私だったが、現われた先生はオーウェルの顔がプリントされたTシャツを着てくるような激しいオーウェル愛好者!!当然授業にも熱が入り、次々に学生に質問を浴びせかけてきたりするなど、ボーっとなどしていられない授業展開。
 まずはじめに、オーウェルの有名なエッセイの一つ「象を撃つ」の英文をみんなで読んだ。その先生は、オーウェルが象を撃つまでの心理を、さまざまな身振り手振りを加えながら演劇仕立てでこと細かに表現し、すっかりオーウェルになりきっている。その姿に最初は圧倒されなじめずに、友人に「なんだかあの授業、アメリカン(←誤った認識)でいやだ・・・」とこぼし、授業に向かう足取りも重かったのを覚えている。

6e53abb5.jpg だが、そんな授業も徐々に慣れていき楽しくなった。先生の「演劇」のおかげで短いエッセイを読むのにも何週間も費やされたが、その年の夏休みにはオーウェルの著作をいくつか読んだ。夏明けに読んだ本のお話を先生にしたらとても喜んでくれたようで、自身の論文も載っている「オーウェル研究会」の研究誌を何冊かいただいた。そのとき話した内容で覚えているものの一つが、『ウィガン波止場への道』の中の表現についてだ。オーウェルはその著作の中で、政治的な話をしているのにその話に熱くなりすぎてか、「瓜二つ」という表現が出た折に「この表現はまったく瓜に失礼だ!瓜にだって個性があるというのに!」と書いていて、私は「こういったオーウェルのお茶目なところがいい
」などとトンチンカンなコメントを先生にしたのだ。「イヤ、急にそんなこと言われても・・・」と先生はちょっとお困りのようだった・・・。


4931284051.09.jpg 今は半期の授業が主流のようだが、私が在籍していた当時の大学ではほとんどが1年通期の授業で、じっくりオーウェルに付き合えたのは良かったと思う。もし半期だったら、「別にいいか・・・どうせ終わりだし」などと、夏休みにオーウェルの著作を読むこともなかったかもしれない。半期という短いサイクルは生徒、あるいは先生自身が1年間同じテーマで持ちこたえられないからなのだろうか・・・。その意図は良くわかりませんが。
 その先生は非常勤の方で、次の年は講読を受け持たず英語の授業を担当していた。私もまた先生にくっついてその英語をとり、また1年間お世話になった。先生は音楽も好きで、常に大量の「先生ミックステープ」を持参しており、私もそのなかからディスコ音楽ミックスを1本いただいた。
 背が高く瘠せてヒョロッとした体型はまさにオーウェルのイメージとぴったりで、「演劇」での名演技もあってか、英語の授業であろうとその先生がオーウェルに見えたものである。次の年にはいなくなってしまったと記憶しているが、今何してらっしゃるんでしょう、お元気でしょうか。熱(苦し)い授業をやっていますことを。

 平凡社ライブラリーから出ていた「オーウェル評論集1-4」、是非復刻していただきたい。
 
 ちなみに私はオーウェルと同じ誕生日である。
 
トップページへ戻る

日にちの少ない2月

 1月の中頃、前に提出した論文の1回目の校正の締め切りがあった。例のごとくとでもいおうか、いろんな人にかなり面倒をかけてしまいました。みなさま、申し訳ありませんでした。
 そんな中、1月末締め切りの論文募集の知らせがまいこみ、バタバタの校正事件のあと執筆を開始した。2週間ほどしか時間がなかったが、以前からちょっとづつ書いていたものをどうにか形にして提出。ペース配分がうまくできず、前半はダラダラしていたのに逆に後半はかなり息が切れてしまったが、またこれを叩き台にしよう・・・。
 2月は3月の発表に向けての準備と、同時に3月頭しめきりの原稿依頼もいただいたので今から少しゾッとしている、うまくペース配分をしないと・・・。しかし、1月末に論文の締め切りがあったため、多くの予定は2月に繰り越しで入れていたので、なかなかぎゅぎゅうになってしまった。ダンスも2本見に行く予定だし・・・。1日1日何をするか綿密にスケジュールを立てなければヤバイ。毎年買ってもほとんど使うことのない手帳を活用することができそうだ。

 立川談志の弟子の立川談春がラジオに出ていて何気なく聴いていた。過去にやった自分の落語のテープを流され、アナウンサーに「どうです?昔の自分の落語をきくと、うまくなったなぁって思うもんですか?」と尋ねられていた。立川談春:「そりゃあね、20年もやってるんだからそれなりに技はうまくなっているんでしょう。でもね、その3倍以上耳が良くなってしまうんですよ。自分の落語がいいなんて思えませんよ」

トップページへ戻る

差異化のレースからおりるか、その内部に切り込むか―ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン』

ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン-社会的判断力批判』(藤原書房1990=2005)
Pierre Bourdieu "DISTINCTION:A Social Critique the Judgement of Taste"(Hervard University,1984=2002)
(原著はフランス語ですが、英語訳を参照しました)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 授業で少しづつ読んでいたブルデューの『ディスタンクシオン(distinction)』の2000字レビュー。当初タイトルは「差異化のレースをおりて、価値体系を転覆させよ!」としたのですが、本書の意図とはかけ離れ高らかな宣言が過ぎるのでちょっと変更。怠けていたが故、当日会社に自分のパソコンを持っていき、休み時間にシコシコと作業。いつもながらの自己嫌悪・・・。会社をちょっと早退させてもらって学び舎へ直行。発表の順番が最後で時間もかなりおしており、「来週にしましょうか・・・?」と、書き直しの可能性に胸躍らせつつ、さりげなく発表の延期を提案してみるが、「なに、なんでよヨークさん」と突っ込まれる。あまりふんばっても怪しまれるので観念しました、ハァァ・・・。
 大幅に加筆訂正しようかな、とも考えましたが、誤字脱字、勘違いのみ訂正しました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
bourdieu.jpg 音楽を聴き、洋服を選び、映画を見て、食事をする・・・。そのような普段何気なく行っている文化的慣習行動は、出身階層(経済資本)およびしばしばその階層に対応する教育水準(学歴資本)と密接な関係にある。P.ブルデューは、さまざまな階級および階級内集団には、特徴的な諸性向の体系「ハビトゥス」があるとし、そのハビトゥスと文化的慣習行動・趣味との密接な関係を、多彩なデータを用いながら明らかにしていく。

 ある文化に対して愛着を持っているというとき、そこには「愛着を持ち得ない文化」が同時に存在している。「テイストは避けることのできないひとつの差異の実際上の肯定であり、おそらく、何よりもまず嫌悪なのだ」とブルデューがいっているように、愛着を持ち得ない文化との差異化をはかることが、何かに対する愛着を指し示すこと・体現することとなるのである。
 「もろもろの趣味(テイスト)は、『階級』を示す特権的指標として機能する傾向を持」ち、「趣味は分類し、分類するものを分類する」とブルデューは言う。美しいものと醜いもの、上品な趣味と下品な趣味といったテイストを区別・分類するという操作(distinction)は、自らを卓越化する(distinguish)ことであり、自らの占める位置を表現するということである。

 ただし、ブルデューによれば、この卓越化を行えるのは多大な経済資本・文化資本・学歴資本を所有しているブルジョワジーやエリート層だけであり、彼らがこの差異化のゲームの主導権を握っている。プチブル層や労働者階級の人びとにはとうてい入手できないものの所有や浪費、彼らとは異なる身振りや言葉、大衆には理解しがたい・親しみのない文化の支持など、ブルジョワ層は常にプチプル以下の層との差異化をはかり、「正当」な文化はここにあるのだということを見せびらかし続ける。
 このゲームの餌食になるのが、ブルジョワ層に追いつけ追いつこうとするプチブル層である。文化生産の場は「あなたもこれでハイソサエティ!」と鼓舞する商品を生み出し続け、教育機関は「素晴らしい人生が約束される」とささやきながら徐々にその門戸を広げ、プチブル層を誘惑する。「あれも・・・それも手に入れたい」という「欲求不満の期待」に突き動かされるプチブル層は、必死になってブルジョワ層のテイストに近づこうとするが、その必死さはブルジョワ層にとってみれば、みっともない猿真似にすぎない。なぜならブルジョワ層のテイストは、自身の生活様式において「自然」に身についたものであり、必死になって身につけた「ニセモノ」のそれではない。数世代にわたって受け継がれ再生産されてきた数々のテイスト、その歴史は、どうあがいても成金プチブルには手に入れることが出来ない。
 また、仮にプチブルがブルジョワの文化を所有出来たとしても、その文化はただちに正当性を剥奪される。プチブルがその文化に触れたとたん、ブルジョワはそれを自らの文化から追放し、新たなる「正当」文化を更新し続けるからである。

 このように、決してブルジョワに勝つことの出来ないこのゲームは、「相手を組みこむ闘争であり、また最初にハンディキャップがあるという点では再生産的な闘争である。というのも、つねに一定の差が保たれているということが示すように・・・・・・彼らが追いかけている先行者たちの追求目標の正当性を暗黙のうちに認めていることになるからである」。
 ブルジョワがいうところの「ホンモノ」を追い求めること、それはブルジョワの優位を保証することにほかならない。中間(下層)文化があってこそのブルジョワの卓越化であり、階級の対立はたがいに相手によってはじめて存在するものであり、文化の価値とそれを所有したいという欲求を生みだすのは、共犯関係にある敵どうしの闘争のなかにおいてなのである。

 このような再生産のレースを停止するには、ブルジョワ層の生活に対しての「欲求不満の期待」を断ち切るほかない。前を走るものへの同定を断ち切ること、その結果、本当の意味での価値体系の転覆がはじめて可能となるとブルデューはいう。
 しかし、既存の価値観に疑問をつきつけたカウンターカルチャーについても何度か言及し一定の評価を与えてはいるものの、その息の短さや、社会の外部に出るという「逃争」には批判的である。そもそもブルデューは、ブルジョワ層以外の文化を「文化」とは決して認めない。単純で操作されやすく、そこにあるもので満足してしまい自らは何も生みださないといった、おなじみの大衆像がそこでは描かれている。

 社会で戦う武器としてブルデューがもっとも重視するのは教育である。アルジェリア系移民の労働者階級出身ながら、大学教授というエリート層までのぼりつめたブルデューは、階級システムを保護・再生産し続ける教育機関の批判、1998年には母校の高等師範学校を占拠するなど、教育問題に積極的に取り組んだ社会学者である。

トップページへ戻る

新風俗研究会

19.jpg 6日の土曜日に、新風俗研究会の例会に参加してきた。去年の暮れに2回あった例会は、どちらとも行けなかったので久々の参加である。
 この日の発表は、松本大学の寄藤晶子さんによる「ギャンブル空間の形成」。寄藤さんが、愛知県常滑市の競艇場で行ってきた長年のフィールドワークの成果をあれこれとお話いただく。そのフィールドワークのお話が実におもしろかった。オッサンの追跡調査、オッサンぎゅうぎゅうづめの競艇客専用車両に乗り込む寄藤さん・・・本人のキャラクターがポワーッとしていて(失礼!)、そのゆっくりのんびりとした語り口でギャンブルについて語るというのも、なんだか魅力的だった。
 論点は大きくわけて2つあり、1つは競艇に対するネガティブな表象(「ギャンブルなんて・・・」「ゴミを撒き散らされて困る」等)と、競艇を支えるポジティブな実践(送迎バスの運行、競艇に合わせた街空間の形成など)の関係。送迎バスや競艇客専用車両は、サービスの衣をまといつつ、一般市民の目に触れられないようオッサンを隔離、あるいは排除する手段でもある。そういったことを指摘しながら、競艇場をとりまく空間に構築された支配的イデオロギーや秩序を見ていく。
 2つ目はジェンダーの問題。ほぼ9割にのぼる男性客と、100%女性で占められた競艇場の女性従業員。男性が散らかしたゴミやタンを掃除し、何を言われようが頭を下げたしなめる。「公営水商売」とはジェンダー研究者の三橋順子氏の談。

 そして3月の例会では私が発表することとなりました。持ち時間はたっぷり3時間・・・。年齢も職業も関心分野も幅広い会なので、ゆっくりのんびりと丁寧にこれまで考えてきたことをお話できればと思います。ざっくばらんとした会なので、お暇な方は是非覗きに来て下さい。詳細はまた追ってお知らせします。

トップページへ戻る

校正

 校内で作っている論文集の校正。いろいろあるので後回しにしよう・・・と後先考えずぼんやりと。編集を生業とする隣のB-GIRL(妹)にもチェックしてもらうつもりです。
 とりあえず章立てを。校内の論文集ということもあって、ちょっとふざけた章のタイトル。

はじめに
1 社交ダンス
(1-1)公の場で踊るアタシ:欧化政策としての社交ダンス
(1-2)アタシの役割、アナタの役割:カップルという単位

2 ディスコ
(2-1)アタシは勝手に踊る!:ペアから個へ
(2-2)特別なアタシの身体:ドレスコード、お立ち台

3 クラブ
(3-1)アタシをめぐる変化:ディスコからクラブへ
(3-2)アタシの身体はアタシのもの:クラブにおける個の身体
おわりに

 章立てだけ見てもなんのこっちゃという感じでしょうが、男女の身体(主として女性)を軸として、社交ダンスからクラブまでのダンスのあり方をまとめてみました。抜き刷りがもらえるハズなので、完成したらまたお知らせします。

トップページへ戻る

猿でもできる反省!

 2006年も残すところあとわずかとなりました。一応今年の振り返り&反省などをしていきたいと思います。
 2006年の前にちらりとその前の2005年のことを。昨年2005年は修士論文を半年のばすこととなった年でした。サボっていた自分が悪いのですが、本もすべて中途半端にしか読めない状態で、じっくりと考察が出来ないままツギハギだらけの修士論文を提出してしまったという感があります。また、人間関係的にも非常にしんどい年でした。
 2006年はそこから解放され(されすぎの感もある・・・)、一言でいえば「吸収」の年(いつまで吸収してんでしょうね、っていう自己アキレもありますが)。大学院に入ってからというもの、映画館であれビデオであれ全く見ることのなかった映画も、また少しずつ見るようになりましたし(それに伴い、映画のチラシ熱もよみがえったりして・・・)、読もうと積み重ねていた本ともじっくりつきあえました。
 また今年はダンス観劇デビューをした年でもありました。舞踊は研究対象外だったのですが、「日本人にとってのダンスと恥」というテーマを考えていたときに、“暗黒”舞踏家の故土方巽氏が自分の踊りを「どこまでも恥ずかしい身体をさらす」というようなことを言っていたのを思い出し、日本の舞踊史もしっかりおさえておかなければならないなと思い立ったのが見るようになったきっかけです。そしてその「恥ずかしさ」の中には、欧米の身体(純白)に対しての恥がある、ではそもそも欧米の舞踊史はどうだったんだろうかと思って手にした本が、外山紀久子さんの『帰宅しない放蕩娘-アメリカ舞踊におけるモダニズム・ポストモダニズム』(勁草書房1999)という本でした(母が本のタイトルをチラ見して「アンタのことじゃないの・・・」とボヤいていた)。
 そこで紹介されていたポストモダン・ダンサー、トリシャ・ブラウン氏のカンパニーがちょうど3月に来日し、それを見に行ったことをきっかけに、今年はちょくちょくダンスを見に行きました。いずれこのブログでも少しずつ紹介できればと思いますし、これからのダンス・身体論の肥やしにしていければと思います。

 今年は地元の友人と、1ヶ月ごとに反省会&来月の計画を語るという会も定期的に行った。お互いダメだしの月も多かったのはやはり反省すべき点。毎月毎月、ホームページ開設を目標にあげていたのだけど、結局11月下旬にブログ開設という中途半端に目標を達成するヨーク。
 「願わくば、毎日更新されますことを。書くことが何も残ってなくても、書きまくる。そこから新たな地平が見えることもあるかと思われますが、どうでしょう。楽しみにしてます」と、友人からブログ開設祝い(?)のコメントをいただく。今のところ毎日更新は残念ながら出来ていない(その代わりといってはなんだが一日にまとめて書いていたり。ブログってそういうもんじゃないですよね・・・)。さらに、画面表示トラブルが続いていた(いる)が、 ダンスに興味がある人が便利に使えて、なおかつダンスに興味がない人もおもしろく読んでいただけるようなブログを目指したい(ま、くだらないこともいっぱい書いてますけれど)。

 結局今年は論文を1本しかかけなかったので、来年2007年は2006年の「吸収」を生かして良いものを外に出す年にしていきたい。
 仕事とのバランスは常に悩みの種ですが、そんなことは誰でも同じ。バランスのとり方もまた学ばなくてはいけない問題です。だらしないところや怠け癖も直さなければ・・・。

 というわけで2006年みなさまありがとう、良いお年を。
 2007年もきびしくご指導&お酒のお付き合いよろしくお願いします!

トップページへ戻る

手直し

UMIYORKE.jpg 校内で作っている論文集の論文を11月上旬に少々遅れながらも提出。社交ダンス~ディスコ~クラブまでの踊り場におけるダンスの変化を、「男女の身体」という軸で改めて考え直したもの。編集者に会うと、トラブル続きらしくいつも悲鳴を上げているが無事に出るのだろうか・・・。遅れて迷惑かけた分、なんならお手伝いしますけど。
 今回の論文は2万字ということだったが、いつもいつもダラダラとオーバーしてしまうため、今回は気を引き締めて挑んだら、引き締めすぎたのか1万3千字程度におさまってしまった。まぁ直すべきところ、書き足したい部分は多々あるので、これをたたき台にして手直しし、来年春にとある学会に投稿する予定である。

 「shall we dance?」の日米比較も途中でほっぽり出している。人びとの記憶が薄れないうちに・・・と思っていたら、周防さん新作撮っちゃいましたね(『
それでもボクはやってない』)。

トップページへ戻る