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断片的、あまりに断片的な

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読書会 vol.31 @ミロンガ・ヌオーバ

前回の読書会は、ボルヘスの『砂の本』を、アルゼンチンタンゴが流れるミロンガ・ヌオーバ(神保町)で。今度アルゼンチン関連のイベントをするので、誠に勝手ながら、その準備も兼ねて選ばせていただきました。大学の授業でスティーブ・エリクソン読んで気が遠くなったことが鮮やかに蘇る、マジックリアリズムの世界。。今回は、今福龍太氏の「身体としての書物」ゼミナールもガイドにしつつ、あーだこーだ言いながらその世界の周辺をウロウロしていたのでした。
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今回の会場は、アルゼンチン出身のボルヘスにちなんで、アルゼンチンタンゴが流れる「ミロンガ・ヌオーバ」。前回の「さぼうる」から目と鼻の先にある、1953年創業の神保町の老舗喫茶の一つです。

毎回、ちょうど良い感じの喫茶店を探すのに苦労するのですが、本のあるところにカフェーあり。古本屋街として踏ん張っている神保町には、それを受けとめるだけの文化的香りを放つ喫茶店が数多くあります。前回ご紹介したように、このお店はお酒が飲めるということもあって、三島由紀夫ほか多くの文豪たちが通っていた場所。きっとここで、数多くの本のアイデアが練られ、本に対する熱い議論が繰り広げられていたことと思います。

本。

ボルヘスの『砂の本』、というかボルヘスの一連の作品は、『本』(書物)というメディアが喚起させる壮大な世界と可能性が、実に幻想的な物語として描かれています。表題作のタイトルでもある「砂の本」は、はじまりもなければ終わりもない本。最初のページを探そうとしても見つからない、終わりのページもご同様。同じページを二度と見ることはできない無限の本。「それをよくごらんなさい。もう二度と見られませんよ」。
このような無限性を持つ「砂の本」が表しているのは、本はそれ一冊で完結する世界ではなく、あらゆる物語との連続、引用から成り立っている、巨大なネットワークにおける1点でしかない、といえるかもしれません。また、二度と同じページにたどりつけないのは、たとえ同じものを再度読んだとしても同じ経験にはなりえない、という読書の一回性を指摘しているようでもあります。

研究書や研究論文は様々な書物の文字通りの引用や参照がわかりやすく明記されており、そのリンクから次々と新たな書物や思考に繋がっていく、のが研究の楽しさ・喜びであり、研究する上での基本的な姿勢であることを、改めて実感させられます。そして、そういった書物の広がりの可能性は、もちろんあらゆる書物が持っているもの。会のなかで、「やたらといろんな知識や固有名詞が羅列されている!」なんて指摘もありましたが、そうしたペダンティック性は、巨大な「本ネットワーク」への、わかりやすい「リンク」を示しているのかもしれません。
会のはじめは、ボルヘスのマジックリアリズムな幻想的表現に戸惑う方々が多かったのですが(私もそうですが!)、時間をおいてまた読んでみたり、それこそこの本から伸びるネットワークをウロウロとしていると、少しづつこの物語の輪郭みたいなものがつかめた気がするのでした。そして、そこで得た無限の本「砂の本」への感覚は、無限に本が陳列されるまた別の物語『バベルの図書館』の世界へ、私たちを軽やかにリンクさせてくれるのです。

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