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断片的、あまりに断片的な

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翻訳のこだわり?厳密さ?

翻訳本は注がやたらやっかいだったりする。作者がつけた注と、訳者がつけた注の2種類あったりして、ただでさえページを繰るのが面倒。ザクザク読み飛ばす場合もあるのですが。

で、今読んでる翻訳本は、講演会の記録ということもあり原作者の注は全くないのですが、訳注と、さらに訳者による補注という2段階の構えになっています。訳注はまぁ、用語の説明とか、歴史的背景の補足などでとっても参考になるのですが、補注というやつが「なんじゃこれ?!」でして。


この本は初訳が1955年、私は1996年に新装版として生まれ変わったものを手にしているわけなんですが、1996年の時点で、初訳を手掛けた方は亡くなっており、新装版は別の方たちがあれこれ手を入れています。そこでなんですが、まぁ良くある言い方として「○○氏の訳はとても素晴らしい。○○氏のこの訳のおかげでわれわれは多くを知ったというわけだ。だがしかし、○○氏にも若干の勘違いや誤訳がある」。ここまではいいとして、「で、われわれは直すべき箇所を補注でもって示すことにする」、と(つまり本文は1955年初訳のまま)。まぁ、これでも「そうですかー」なんて思った程度だったんです、はじめは。


で、読みすすめていくうちに、補注とやらにぶつかります。ページを巻末まで繰り、さて新訳ではどんな訂正がなされているのかなと思いながら補注ページを見るわけです。


旧「指摘し」→新「強調し」
旧「そむき」→新「おろそかにし」
旧「まず」→新「第一に」

・・・・まぁ、そりゃぁ意味やニュアンスは違うんだけど・・・これは補注としてやることか?というかですね、補注でチマチマ訂正するんじゃなくて、バッサリ新訳として改めていただきたい。先達の仕事に手は入れられないってことか。いろいろアカデミックなしがらみや事情があるのでしょうが、いただけない、実にいただけない。

そしてそして、さすがにズッコケてしまったのは、


旧「人間は」→新「人間とは」

返せ!巻末までページめくった私の時間返せ!
いや、違うよ、違うのはわかるんですけれど!知人同士で訳の見直し合いしてるんじゃないんですから!!
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