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断片的、あまりに断片的な

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告白と空気

          
先週、ニューヨーク州が同性婚合法化法案を提出なんてニュースがありましたが、先日の記事で書いたように同性婚が禁止になってしまったカリフォルニア州(『ミルク』!)含め、これからそんな動きがアメリカでは出てくるでしょう。デモやら住民投票やらで権利主張が行われるのは、(主として宗教上からの)厳しい差別や禁止があるからですが、日本では良くも悪くも曖昧なため、なかなかそういった動きは起こりづらいです。それは何も同性婚にかぎりませんが。

同性愛についてではないですが、女装家の三橋順子さんが『女装と日本人』(2008)のなかで、いかに日本が他の国々と比べて女装などの「クィア」なものに対して寛容であるかを述べています。女装している人であれゲイの人に対してであれ、ヘイトクライムが起こることはあまりないでしょう。でもそれは、決して「お手手つないで仲良くね~」などと思っているからでも、「自然」と認識しているからでもなく、不快感や嫌悪感を覚えてもそこまではしないという、ホンネとタテマエというか、陰口文化ということです。表面上は仲良く付き合って、裏では「エイズになるから一緒の皿を使いたくない」という驚くべきセリフを吐くわけです(実話です)。とはいえ、殺される心配がないのであれば、日本の曖昧さの方がいいというゲイの方々は当然いるでしょう。
              
 こんな話に関連してセジウィックの『クローゼットの認識論』を読んで、同性愛だということを隠す/カミングアウトすることについて隣人と話したのですが、日本だとその二項対立も当然曖昧になってくるわけです。カミングアウト=告白というキリスト教的なものですが、日本ではそれにあたるものが、うわさの「空気」。大学時代からの友人にゲイの男性が2人いますが、私は彼らからカミングアウトされたことは一度もないし、またこちらから尋ねたこともありません。少しづつ、なんとなく、気づかされる。例えば「ジャニーズってステキ」などの「男の子カワイイ」関連の言説。いわゆる「周知の事実」になるというか、次第に巻き込まれるというか(ネガティブな意味ではなく)。

※余談、わたくしの師は「周知の事実」という言い方を嫌うが、この言い方が「世間」的だからであろう。英語ではcommon knowledgeとか public knowledgeなんて訳されているが、「周知」の「周」は一般でも、公でもない。「やばくない?」「やばいやばい」で通じる世界のことである。
    
ただしそれは、「オカマ」とか女装など、わかりやすい「クィア」の記号を発する人にいえることであって、「普通の男」あるいは女ゲイには難しいかもしれない。知人たちがこんなことを言った。「外国人のゲイはいいけど、日本人はいや、気持ち悪い」。ボーイズラブもののマンガや小説にはまっていた古くからの友人と高校生のときに『ブエノスアイレス』(右)という映画を見に行ったとき、彼女はトニー・レオンとレスリー・チャンのベッドシーンに不快感を露わにしていた。要するに、異物・まったきの他者・笑い・異世界として同定するわけであって、「ミウチ」にそんなことはあってはならないということ。前者は日本人に、後者は三次元に。

アメリカは権利を得たものがち。日本は空気を掴んだほうがち。

あとアメリカの同性婚問題を見て思うのが、結婚というより、ファミリーへの意志。養子含め家族を作るという価値観の違い。

上であげたイヴ・セジウィック氏が先日12日に亡くなられたそうだ。享年58歳。

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