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断片的、あまりに断片的な

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世間とは何か―阿部謹也『「世間」とは何か』、佐藤直樹『「世間」の現象学』

「世間をお騒がせして申し訳ありません」。政治家や企業、あるいは有名人が不祥事を犯したときに使われる常套句、最近では食品関係企業のお偉いさんたちの使用が目立っている。ここで謝られているのは、彼/女らが起こした不祥事というより「世間を騒がせたこと」である。有名人の離婚やスキャンダルに大騒ぎするメディア。ここでもまた有名人は「お騒がせしました」と謝らなければならない、沢尻エリカのように。

「世間」を意識しているのはもちろん有名人に限ったことではない。結婚式、葬式、お受験、身につけるもの、食べるもの、付き合う人など、ありとあらゆる局面で人びとは「世間」を意識する。日本は「恥の文化」といわれてきたが、それは日本の「世間」ゆえである。世間体が悪いことは恥ずかしい。例えば小倉考誠は、フランスのマナーブックが会話の楽しみ方や食事のしかたといった社交(楽しみ方)について書かれているのに対し、日本のそれはほとんど「冠婚葬祭」やしきたりについてであるという。赤っ恥をかかないため、つまり世間体を保つためのマナーである。

このように、「世間」は日本独特なセカイのありようであり、欧米のセカイ「社会」とはまったく異なる。「社会」を形成する最小単位は“個人”であり、個々人の働きかけによって変えうるものとして「社会」はある。19世紀半ばに社会学が誕生し「社会」が思考の対象となるのは、産業革命やフランス革命をうけて、われわれが変え得るものとしての「社会」が意識されだしたからである。

それに対して「世間」の前提となるのは、「個人個人を結ぶ関係の環」である。「私」ではなく、隣近所や会社、学校などとの関係性が先にあるのである(だから、日本人のコミュニケーションにおいては「間」が重要なものとなる→木村敏)。そして、この関係の環は通常、「個人の意思でそのあり方を決められない」「所与とみなされて」いる。何を着ようが何をしようが誰と付き合おうが「別に・・・」などとツンとしてみようが、それは私個人の問題だといってみたところで、そうは問屋がおろさないのが「世間」なのである。そこには「理屈を超えた」掟があり、それは日本の伝統的な呪術的信仰=「ケガレ」観によるものだと阿部はいう。
      
民俗学的な概念として「ハレとケ」(非日常(祭)と日常)があるが、ケガレはこの「ケ」が汚れたもので、死、疫病、月経、妊娠または罪を犯すことによってその状態になると考えられてきた。このケガレは、個人的なものではなく、共同体をも侵犯すると信じられてきた(いる)わけで、だから「家族に犯罪者がいる女なんかとうちの息子は結婚させません」ということになるし、罪を犯したもの、ケガレたものは村八分にされるし、「『別に・・・』などと言い放つ女が出ている映画なんか見たくもない」ということになる(←しつこい)。このように、「世間は排他的であり、敢えていえば差別的ですらある」(阿部:18)

このような呪術的あるいは民間信仰は、ヨーロッパにもかつて存在していたが、13世紀にはキリスト教の支配とはたらきかけによって排除されていく。かわりに義務づけられたのが「告白」であり、これが個人を生み出す1つの契機となったわけである。「真実の告白は、権力による個人の形勢という社会的手続きの核心に登場してきたのである」(フーコー『性の歴史Ⅰ』)。だから、「世間」を気にした(呪術的信仰に支えられた)日本人の儀礼行為は、欧米人から見るととても奇妙なのだ。例えばロラン・バルトには「ふかぶかと身を折りまげる」日本の儀礼が、「空虚の行使」にみえるのである。

しかし日本においては、呪術的信仰=「ケガレ」観が、「迷信」や「しきたり」「俗言」として今なおわれわれの身体を貫いている。結婚式とあれば「仏滅」「大安」を気にするし、厄払いを行う人も少なくない。私が幼き頃に流行った(?)、「エンガチョ」といった妙な身振りも、触れると「鬼」になるという一連の遊びもこのケガレ観によるもので、排他的な「世間」の構造が、遊びのなかでしっかりと演じられていたといっていい。

そもそも日本のイジメはケガレの排除であるが、上のような一連の遊びのなかでイジメが演じられなくなった(消化不良)ことが、現代のイジメの醜さにつながっているのではなかろうかと思う。もっと身近な例でいうと、海外の人びとと比べ、なんとはなしに毎朝星座や血液型占いの類をチェックしてしまうのも、いまだわれわれの生活の中に呪術的信仰が潜んでいるがゆえといえる。

明治期に「社会」という言葉や概念が輸入され、近代化がすすみ、この「世間」は解体されるはずだったが、そもそも日本には「社会」の基盤がないので、「世間」のうえに「社会」ということばだけがのっかる形となった。「日本の歴史の中では、古いものが堆積し、整理されることがない。しかし、同時に新しいものもどんどん入ってくる。人々の眼は新しいものに注がれるので、古いものは見えなくなることがある。しかし古いものは消え去ることなく生き続けており、私達の行動を規定し続けている」(阿部:256)。

「世間」のうえに「社会」がのっかったセカイでは、人はその2つのあいだで葛藤する。森達也『放送禁止歌』で読んだことなのだが、被差別部落解放運動に参加していたある人(部落出身者ではない)は、娘から部落出身者と結婚したいと言われた後、自殺したという。これは、理屈のうえつまり「社会」ではなしえることが、理屈を越えた「世間」ではなしえなくなってしまうという、「社会」と「世間」の葛藤の末の自殺である。

佐藤は、90年代以降、「世間」は肥大化したと論じる。高度経済成長後、「世襲化」がすすみ、あらたな身分制度や階層秩序がつくりあげられていき、「中流」が崩壊する。このような流れは、「下流」論でもおなじみだろう。「個人の力ではどうにもできない」という閉塞感、「世間」の厚い壁が前景化される。

90年代後半には、「個性」や「自己表現」に煽られながらも同一化せずにはいられない若者たちのありようが指摘されたが、それはまさに「社会」と「世間」の要請の板ばさみになっていたといえる。阿部は、吉田兼好、井原西鶴、夏目漱石、永井荷風らの作品と実践をあげながら、彼らの「世間」を相対化する生き方――隠者として、「世間」ズレしたものとしての――を見る。「世間」のわずらわしさや「みんなと一緒でなければならない」という強迫観念は、“孤独”になって、そんな「世間」から距離を取らなければ逃れられない。“孤独”こそが、そんな寂しさから解放させてくれるといえるのだ。


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