忍者ブログ

断片的、あまりに断片的な

Home > ブログ > Body/Fashion > 石井達郎『男装論』

石井達郎『男装論』

女性が男装をする、これは現代では少し想像しづらいことなのかもしれない。なぜなら、男性のアイテムのほとんどが、女性たちのファッションとして回収されてしまったからだ。それまでは「男の素材」だったジャージーを積極的に使い、機能的で動きやすく「一人でも脱ぎ着できる」女性の服を作っていったシャネルのファッション革命は有名だ。男性着の代表といってもいいスーツに関しても、OL・キャリアウーマンのパンツスーツの着用が、女性たちの社会進出のしるしとして、日本でも80年代に話題となった。余談だが、私より一回り上の女性たちは、当時のスーツやジャケットをタンスから取り出してみると、まるでアメフト選手のようなその肩(パット)に苦笑してしまうという。でもそれは、男性と肩を並べても引けをとらないような広い肩幅の演出だった。

また、スーツに欠かせないネクタイ。個人的な選択によって、仕事着の一部として身に付けている女性はあまりいないと思うが、学校や職場の制服として取り入れられているところは少なくない(私の中学校の制服も男女ともネクタイだった)。さらに、ファッションの一部としてもネクタイは女性たちに取り入れられている。とはいえ、私が中学校のとき着用していたネクタイがワンタッチ式で、普通のネクタイの締め方を知らないこともあってか、男性がネクタイを付けている様子にはつい見入ってしまう。会社の人たちが、葬式に行くとかでネクタイを着用しなければならなくなったときに、ちょっと慌ててネクタイをしめる姿にもやはりつい見入る。オッサンだろうと見てしまう、じっと。ある女性の友人は、男性がネクタイを締める姿を、男性の色っぽい動作としてあげていた。「椎名桔平の」という限定付きではあったが。
さらに、最後の砦(?)たる、女性のアンダーウェアも、年々シンプルに、機能性重視のものが増えてきている。ボクサーポンツを履いた女性が登場する、90年代のカルバン・クラインの広告は多くの人に強い印象を与えたと思う。

こんな時代にあって、「女性が男装をする」という行為は曖昧だ。たとえ、女性が三つ揃えのスーツを着ていたとしても、「随分とマニッシュな人だな」と思う程度で済んでしまうかもしれない。もしくは「宝塚っぽいね」などと。女性はこれからも男性のファッションを奪って、流用していくだけである。もう奪いつくしたのかもしれないが。しかし、今でこそ女性は当たり前のようにズボンを履くが、女性たちがズボンを公に履きだすのは19世紀中ばのことで、それまでは女性が「二股にわかれたものをはく」ことは「不道徳」なことであった。そんななかで、なぜ女たちが男の服を着ようと思ったのか。
本書の中では、さまざまな時代の男装者たちの実践が紹介される。6千人もの軍隊を率いた男装異端者ジャンヌ・ダルク(1412‐1431)、行方不明になった夫を探しに行くために男装して馬にまたがったアイルランドのクリスチャン・デイヴィス(1678-1739)、男装して男たちと同じように自由に街を練り歩いた作家ジョルジュ・サンド(1804‐1676)、学問世界への参入・イスラム世界(父)との同一化を求めた、ロシア人の両親を持つイザベル・エベラール(1877-1905)、などなど。いずれも、公的空間に参入するため、あるいはその社会から身を守るための手段(いずれにせよ同化だが)として男装が行われた事例である(写真はリュック・ベッソンの『ジャンヌ・ダルク』(1999)より)。

異装というと、同性愛者やトランスセクシュアルの人びとを連想してしまいがちである。しかし、彼女たちは、やむなく男装をしたわけで、必ずしも同性愛者とは限らない。むしろ、男装を行っていくないくなかで、同性の女性に対する恋愛感情が芽生えていく女性たちの事例が興味深い。男装することによってそれまで抑圧されてきたであろう同性愛というセクシュアリティを解放したというのではない、その逆である。男装というパフォーマンスを行っていく中で、そのような感情が芽生えたのである。それほど、男女の2分法は強固であるといえるのだが。男装を行えば必ず同性愛者になるというのではないし、現代の男性を含めた異装者たちがみな同性愛者やトランスセクシャルである、というわけではない。しかし、ファッションは単なる表面的な問題にとどまらないということ。そして、セクシュアリティというものは本質的なものではないということ。

労働や生活のためということとは別に、女性の「男装化」の一端には、19世紀後半に女性のスポーツにたいする関心が高まったのも大きかった(近代オリンピックの誕生)。「スポーツが意外なところで、女性がより機能的な、今まで男性のものとされてきた衣服を着ることに貢献してきたのである」と石井は述べる。

女性たちが、さまざまな理由でもって男性の服を我が物にしてきたのに比べ、男性たちの男らしいファッションはまだまだ強固である。それはむろん、男性が女性の服装を着る必要がないからだが、90年代には日本ではフェミ男なる言葉が登場しピタピタTシャツや可愛らしい男性ファッションが流行ったし、メンズファッションの女性化はすすんでいるといわれている(というより、メンズの女性並みのファッション化)。「女性はいろいろと服装や装飾にバリエーションあっていいねー」などと言われることがたまにあるが、このような「女性たちはズルイ!彼女たちのファッション奪いたい!」という男性たちの欲求がもっともっと盛り上がってくれば、今度は逆に男性が女性たちのファッション(だと思われてきたもの、化粧等を含め)を奪うことになるのかもしれない、というよりそれは起こりつつあるのだが。

PR