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断片的、あまりに断片的な

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宝塚体験と異装

12月8日、日比谷の東京宝塚劇場で初の宝塚鑑賞。何ヶ月か前にチケットを買ったのにいけなくなってしまったので、今回はリベンジ。とはいえ・・・そもそもミュージカルが嫌いだし、宝塚も「まぁ一生に1回くらい見てもいいか」程度の気持ちだったのに、なんと公演は3時間(間に休憩が30分入るが)だというので、公演当日になっても腰が重く、だらだらと準備をしていたら、時間に大幅に遅れてしまった。

演目は花組によるミュージカル・ピカレスク「アデュー・マルセイユ」とグランドレビュー「ラブ・シンフォニー」。春野寿美礼氏のさよなら公演だったらしく、超満員の会場で「スイマセンスイマセン・・・」と腰低くして自分の席にたどり着く。2幕目のレビューから鑑賞。

ステージ衣装というのは超日常的なものになることが多く、傍から見ていると笑えるものが多いが、宝塚の異常さは群を抜いているだろう。ジャニーズの衣装もそうだけど、夢を見させるにはあれぐらいに現実から遠く離れなければならない。もうすでにあるのだろうけど、ヅカ系の女性のホストクラブってはやりそうだけどな。そういえばホストの身なりも「異常」。いつの時代だよ、と突っ込みたくなるようなカマキリのような髪型とか。「普通」の男性だと、金で男を買っているということがリアルになりすぎてしまうからだろうか。そうなると、まだまだ女が男を買うってのは社会的に強い抵抗があるんだろう、男性がそこいらの姉さん(というのは大雑把か?)がいるキャバクラに行くのと違って。
途中、バレエのチュチュのような衣装を身にまとった「娘役」の方たちが、手をつないで一列になって、足をあげさげするダンスを披露しており、私は思わず臨席の友人に「あ、文明堂のカステラだ!」と言いそうになったが、オペラグラスで熱心に鑑賞している回りの人びとのことが気になったので、1人おかしみを噛み締めていた。しかし出演者が順番に挨拶をしていくフィナーレでの、宝塚といえば!の羽根の衣装登場には笑いが耐えられなくなってしまった。組における地位が高くなるにつれて徐々にボリュームを増す羽根・・・、あの超-無意味な羽根・・・。下を向いて顔を抑えて「ククク・・・」していたのだが、隣の席の女性に覗き込まれてしまった。この日はさよなら公演だから、泣いていると思っただろうか(写真は実際に春野さんが身に着けていた羽根。「宝島プレシャス」より)。

宝塚は女性が男装をする「男役」が人気だが、この異装は、われわれを不安にさせることはない。石井達郎は『異装のセクシュアリティ』において、レズビアンの男装を「男と女の性役割の相違においての『男の積極性』のニュアンスを残している」といい、彼女らの実践が男女の二分法を温存するものであることを暗に指摘しているが、スーツやタキシードといった従来の「男性服」を強調する宝塚の「男役」のそれも同様だろう。もちろん、宝塚はレズビアンからなるパフォーマンス集団ではないのだが、そうであるがゆえ(政治性がないため)、その男装は安心して見られるものになっている。先に宝塚の世界を「超」現実といったが、男/女の二分法を保持しているという点ではきわめて「現実的」である。

しかし、ジュディス・バトラーは『ジェンダー・トラブル』のなかで、次のように異装のパフォーマティヴィティの可能性を指摘する。
「異装が『女』という統一的なイメージを作るものであるにせよ(異装を批判する人がよく弾劾する点である)、それは同時に、異性愛の首尾一貫性という規制的な虚構をつうじて統一性として誤って自然化されているジェンダー経験のさまざまな局面が、それぞれまったく別物だということを明らかにするものである。ジェンダーを模範することによって、異装はジェンダーの偶発性だけでなく、ジェンダーそれ自体が模倣の構造をもつことを、明らかにするのである」と。

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