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断片的、あまりに断片的な

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スポーツしない私の身体―スポーツ観戦の前に

小学校3,4年生の体育の授業では、いつも終わり15分前になると、先生がさも「しょうがないから遊ばせてあげる」と言わんばかりに、ドッチボールやらなんやらみんなで楽しむスポーツを「遊ばせて」くれた。体育の授業内であるのだからそれも我慢しなければならないのだが、誰もがドッチボールが好きだなんて思ってもらっちゃあ困ると思っていたし、先生のそのような態度は恩着せがましいものと感じられた。そういえば「リクリエーション」の時間はきまって何かスポーツの時間だった。 それでもまだ、自分がスポーツ嫌いだということをあまり自覚していなかったのだが、野球のまねごとのようなものが行われたある日の「リクリエーション」後に、ホームルームで担任の先生から「オマエは協調性がない!!」とクドクドクドクド説教垂れられてから、私は自分がスポーツ嫌いだということを強く意識した。

国語や算数などのいわゆる座学のテストの点数は基本的には隠されていたけれど、身体の点数は常に暴露されているというのにも不満だった。それだけ、体育の授業は座学の科目と比べて取るに足らないものと見られていた(いる)といえるのだが(もちろん、心/身の問題というより受験の問題、社会の問題である)。

高校に入ると、いかに体育の授業をサボるか・・・ばかり考えていた。落第しないように、生徒手帳にサボった回数、遅刻の回数をこまめに記入する。遅刻を3回すると1回のサボりとカウントされる。出ようと思っていても1時間目の体育の授業には間に合わないことが多く(某担任に遅刻の女王と銘名されたこともある私である)、けっこうヒヤヒヤしながらの毎日であった。だからか、今でもときどき「高校を留年するかもしれない!」と慌てふためいている夢を見る。そのとき私は、例の生徒手帳に記入されたサボりと遅刻の回数を何度も計算しているのだ。

ハッと起きて、「大丈夫、高校なんてとっくの昔に卒業したんだよ」。
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