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断片的、あまりに断片的な

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カジュアルの困難

昨年12月のことだが、友人のおこぼれにあずかって、コリン・カリーグループによるスティーヴ・ライヒ「ドラミング」ライブ@初台オペラシティへ。御年76歳(!)ライヒ氏も、ハンドクラップで1曲だけ演奏。ちょっとハラハラするような弱々しいハンドクラップも十分聞こえる、前から2番目だか3番目だか4番目だか5番目だかの、とにかく良い席で鑑賞。気持ちよすぎて寝ちゃうかな、とも思ったのだが、コリン・カリーの独特なリズムを取る身振り(顔を天に向け、ゆっくりと振り下ろす)、楽器間を移動するミュージシャンたちの動き、スペクタクルとしても十分楽しめた。

で、クラシカルなホールに立つシャツとパンツのミュージシャン、そしてトレードマークともいえるキャップをかぶったライヒ氏たちのカジュアルさを見ていると、日本人のカジュアル下手を思わずにはいられないのだった。たどたどしいノータイクールビズ、このシャツでいいのかわからんし落ち着かないけど、とりあえずネクタイははずしてみる。だってそれが決まりなんだろう!? 

ちょうど選挙で盛り上がっていた(?)ということもあり、相も変わらず「あああああ」と目を覆いたくなる政治家たちのダサさも脳裏に浮かぶ。政治家のスタイリングをしているという女性が繊研新聞で、「高い服を着ると、民衆からの反発くらうから、頓着しないらしい」とダサさの秘密を説明していたが、高い服=オシャレって考え方が、もう、お里が知れる。だったら、J.Crewを着るミシェル夫人よろしく、日本の国民服ユニクロでも着ればよかろう、いやでもユニクロはデフレの元凶とか言われちゃったりしてるので袖を通すわけにはいかないか、ではこだわり仕立てのスーツでも着て日本の企業を応援すればって、むしろ企業にとっては大きなお世話、どころかイメージダウンになりかねん。ミキハウスと林真須美の関係のごとく、っていったら言い過ぎか。
 
こんなことぼんやり考えてたら、いつぞやの羽田氏の「省エネルック」を思い出すのだった。誰も真似するわけがない、むしろ絶対避けたいと思わせることに無自覚すぎる、虚し・恥ずかし・明後日の方向を向いたパフォーマンス。ファッションは、自分のイメージを形成する重要な要素、というよりそのものなのだから、誰がダサイ人の真似をしたいと思うのだろう。模倣は威光によって生じる。

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