忍者ブログ

断片的、あまりに断片的な

Home > ブログ > Body/Fashion

古着/リサイクルメモ⑥ ゴミのドレスを身にまとう

先日のセネガルナイトでご紹介した、セネガルのゴミ・アート。セネガル人デザイナーDoulsyデザイン、撮影はセネガルを拠点として活動しているFabrice Monteiro。
セネガル/アフリカの街や海辺のあちこちに、ゴミがうずたかく積まれている。ゴミ処理インフラが整ってないということに加え、海外(先進国)から大量の廃棄物が流れ込む(そしてそれらはもちろん容易には処理できない)。
1980年代から顕在化されてきたこうしたアフリカのゴミ問題を受けて、有害廃棄物の輸出入はバーゼル法(1989年~)で規制されるようになったもの の、「寄付」や「中古品」として(という名目)で入ってくる現状だという。1~2割程度しか正常に動かないパソコンやケータイ、汚れた服に破れた服。たぶ んこれからもますます増える。不都合なモノの循環。

※写真はdesignboomより(ほかにも写真あります) http://fabricemonteiro.viewbook.com/
〇Doulsy https://www.facebook.com/jah-gal-doulsy-108196929208318/
〇Fabrice Monteiro http://fabricemonteiro.viewbook.com/
〇セネガルゴミ問題 http://africa-rikai.net/letters/senegal.html

********************************************************************************************
8/6(土)に渋谷アップリンクで公開される『ポバティー・インク あなたの寄付の不都合な真実』も楽しみである。
http://www.uplink.co.jp/movie/2016/44175
PR

KOSHO, SANSHO, TOKIDOKI SALT vol.6 Senegal night

ボウシアーティストRuuRuuさんと不定期で行っている、ファッションと食の夜会"KOSHO, SANSHO, TOKIDOKI SALT"(コショウ、サンショウ、トキドキ ソルト)、5か月ぶりの第6回目はセネガル。ファッション関係の仕事をしている方やパフォーマー、アーティストのゲストが集まったということもあって、ファッションに気合が入ってるひとが多く、実に華やかな夜となった。

そんななか、アフリカン・プリントの話ができたのは良かったかと。セネガルのゴレ島を要所にして発展した奴隷貿易、カリブ海周辺諸国での綿花プラン テーション、それによって可能となったヨーロッパ産の「アフリカっぽい」安価なプリントの布の大量生産。それは確かにヨーロッパによって作られた「アフリ カっぽさ」だったかもしれないけれど、もとをただせばその源は同胞たちの労働によるもの。そんな布にまつわるグローバルな循環や、現代のゴミの循環によって 生み出される不都合とそこから生まれるアートの話、ダカール・ファッションウィークのことなど、短い時間ながらも盛り盛りの内容でお届けできたと思う。

準備不足で、ウスマン・センベーヌ監督の『母たちの村』(2004)をお見せできなかったのは残念だったけど、ドゥドゥ・ニジャエ・ローズの動画を見たり、BGMにユッスー・ンドゥールの『ネルソン・マンデラ』(1986)をかけたりして、自分たちも含め、わずかばかりでもセネガルに近づけた夜会になった。 いろいろ食べ歩いたり、資料を集めたりして研究を重ねた甲斐もあり、Ruuさんが手がけたアフリカン料理も大好評。マデイラワインをベースに、セネガルのスーパーフード「バオバブフルーツパウダー」を加えたカクテルも、なかなかの出来。「バオバブは抗酸化作用にすぐれてる」と説明したら、女性陣からどよめきが(笑)。


お越しくださったみなさん、至らない点多々あったかと思いますが、ありがとうございましたー。次回の開催は、7月の予定です!

**Senegal Night Menu**
〇チキンヤッサ(レモンマリネしたチキンのスープ)
〇フフ(キャッサバ粉を練った主食)
〇野菜の春巻き、トマトレリッシュ添え
〇ルウルウ・ビーンズ煮込み
〇西アフリカ風サラダ
〇バナナとココナッツのゼリー寄せ

●アフリカのビール(タスカー。セネガルのビールがゲットできなかったので...)
●バオバブ・マデイラカクテル(マデイラワイン+バオバブパウダー)
●ペルノ・マンゴー(ペルノ+マンゴージュース)
→Facebookイベントページはコチラ

5ヶ月ぶりにコショサンやります!

ボウシアーティストRuuRuuさんとおおくりする、ファッションと食と文化の夜会「コショウ、サンショウ、トキドキソルト」、5ヶ月ぶりに開催いたします!今回はアフリカ大陸に飛び、セネガルをフィーチャーいたします。セネガルときいて何を連想するでしょうか?パリから飛行機で5時間で、西アフリカの玄関と呼ばれるセネガル。人口の95%がイスラム教徒であるセネガル。国民の約半数が貧困層のセネガル。世界的なミュージシャン、ユッスー・ンドゥールを生んだセネガル。

そして、「着倒れの国」セネガル。アフリカとファッションといえば、最近ではコンガの洒落男たち「サプール」が有名ですが、セネガルもおしゃれが大好きな国なのです。2011年からダカール・ファッションウィークもはじまり、ますます注目度が増しています。もちろんその背景には、かつてセネガルがフランスの植民地だったということがあるでしょう。首都ダカールはフランスの西アフリカ領地の中心でしたし、ダカールから船で20分のゴレ島は、奴隷貿易の要所でした。

私たちも多くのことを知っているわけではありません。ぜひ一緒に、セネガルの音楽を聴き、セネガルの映画『母たちの村』の一部を見つつ、セネガル料理を楽しみ、じっくりとセネガルを味わいましょう。

→Facebookイベントページはコチラ

********************************
コショウ、サンショウ、トキドキ ソルト
第6回 セネガルの夜 ~カラフルな女たちとフランスの風~
日時:5/27(金)18:30~21:30 ※19:30よりスライドショー上映
場所:Salon de RuuRuu (国立市西2-11-27 コスモスビル4F)
会費:4,000yen(セネガルフーズ、ドリンク3杯つき)
ドレスコード:カラフルファッション
RuuRuuボウシレンタル:500yen
********************************
ということで、ただいま絶賛準備中。渋谷の熱帯音楽酒場Los Barbadosに酒飲みに行ったり。さまざまな国の料理のエッセンスや「想像力」で作られているバルバドスのアフリカン料理、これがめちゃくちゃ旨い!絲山秋子のセネガル滞在記 読んでても「とにかく料理がうまい」と何度も書かれていて、どういう美味しさなのかな~と思っていたのだが、ここにきて「なるほど!」と、舌が合点。セ ネガルの豆サラダをいただいたり、キャッサバ粉をこねてつくるアフリカの主食「フフ」を初めていただき、マディラワインにうっとりする夜(ちなみにセネガ ルはイスラム教徒が95%を占めますので、お酒はほとんど飲まない、ということになっとります。いちおう・・・)
町屋のアフリカ屋に布見に行ったり。ここアフリカ屋では、布を選べば好きな形の服に仕立ててくれるのだが(ときにセネガル人テーラーによって)、私はアフリカ屋のファッションショーで着用されたという、少し変わったかたちの服を購入。

店内には、青い服を着た女性が表紙の本があって、ペラペラ眺めていると「それ、ユッスー(セネガル出身の世界的ミュージシャン)のお母さんについての本だ よ」とオーナー。なんと!そうですか。しかし、青(藍)が美しい。アフリカの布というと、カラフルなアフリカン・プリントが今では主流だが、伝統的な西ア フリカの染物は藍染めや泥染め。セネガル出身で「アフリカ映画の父」と呼ばれたウスマン・センベーヌ監督の『母たちの村』(2004)でも、「青」が印象的だった。
 
そしてもちろん本もボチボチ読んでます。この会をやるようになって、明石書店のエリア・スタディーズにお世話になることが多くなりました(笑)。 久しぶりで少しドキドキしています。どうぞお楽しみに!

古着/リサイクルメモ⑤ クリスチャン・ボルタンスキー「ノー・マンズ・ランド」

クリスチャン・ボルタンスキー「ノー・マンズ・ランド」
"No Man's Land" by Christian Boltanski
2012年の大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレにて

16トンの大量の古着がただひたすら、クレーンで持ち上げられ、そして落とされる。展示開始早々は雨に降られ、強烈な悪臭を放っていた、という。

「私の作品はつねに、この大量における唯一性ということを考えています」
「私は死者の身体、写真と洋服を同じように見ていました。これらはすべて不在の主体に関連した物体たちです」(「Art it 消えゆく記憶の融解点」より引用 http://www.art-it.asia/u/admin_ed_itv/S8QKgzwLPdbMtre1ycY4/

*****************
※こちら、昨年6月に行ったファッションと食の夜会「コショウ、サンショウ、トキドキ ソルト vol.2 フランスの夜」でも動画で取り上げました。でもって、5月は5ヶ月ぶりに「コショウ、サンショウ」やりますよ(と宣伝も忘れない)。

写真はThe Japan Timesより
http://www.japantimes.co.jp/…/christian-boltanskis-mesmer…/…

人形と着せ替え

「誕生日は、母に感謝する日だ!」と、永六輔がいつもラジオで説いているからではないが、先週末は母にケーキを買って行き、そして木村屋のあんパンのようにぷっくりとした彼女のおなかを撫でた。「あら、もう一人?」なんて、お決まりの冗談をいいつつも、その「あんパン」が毎日のビールによって出来上がったことを娘の私は知っている。

30年以上前に祖母からもらった長年の友、ミッキーの写真も撮ってみる。ディズニーは好きじゃないが、こいつはそんなことを超越した存在で、何度も引き裂かれ、そして縫い合わされたバランスの悪い耳は、まるでブラックデビル(ひょうきん族)のようで、シェアハウスの外国人たちからも「ニセモノ」扱いされる始末(しかし中国製ではない)。それでも、母が端切れや余ったボタンなどで作った一張羅が、生意気にも眩しい。

端切れは、こうした着せ替え人形の洋服に再利用されていたことも少なくなかったはず。妹が持っていた大きな西洋人形「メリーちゃん」は、私たちのお古を着ていたもんだった。でも今は、こうした着せ替え遊びは廃れているんだろう。あの洋服を着たいとか、何かに変身したいという憧れは、ネットやアプリのアバターゲームが提供する無限の世界が叶えてくれるし、今や憧れの服は、ジジババ様に頼めばすぐに手に入るものなのかもしれない。安い服も溢れている。
すっかり廃れた紙の着せ替え人形は、今ではダウンロードできるものがたくさんある。デヴィッド・ボウイの華麗なる衣装の着せ替えや、花くまゆうさく氏の下手うまキャラの着せ替えなどいろいろあって楽しいが、結局これは大人の楽しみだろう。リカちゃん人形も、85年ピーク時の50億円からだいぶ割り込んで、近頃の年間売上は20億円程度だというけれど、それも「大人買いコレクター」たちによるところが大きいのだろうと想像する。あとはフィギュアと重なってくるが、アニメ系キャラクターの萌え萌え着せ替え・・・。そして、子どもを着せ替え人形のようにしているひともいる。

古き友ミッキーを眺めながら、「着せ替え」についてあれこれ考えてしまう誕生ウィークなのだった。

古着と鰻

茨城県稲敷市にある、老舗古着屋「原宿シカゴ」の倉庫見学へ。シカゴは、アメリカから古着を輸入するだけでなく、日本国内の衣料品を集めてマレーシアに送るリサイクル業も行っている。
日本の古着は、とてもとてもとてもとてもとても綺麗で東南アジアを中心とした諸外国でとても人気があるそうだ。でもそれってつまり、サイクルが「ファスト」ということでもある。「スロー」では決してなくて。

もちろん「大事に大事にタンスの奥にしまっていた」ということも少なくないだろうけれど、『捨てる!技術』(2000)、『断捨離』(2009)、『佐藤可士和の超整理術』(2007)、『人生がときめく片付けの魔法』(2010)、あるいは高城剛『モノを捨てよ 世界へ出よう』(2012)などが、「捨てろ、片付けろ、整理しろ、さもなくば・・・」とささやき続けてきたここ10数年なのである。
 
質問:「国内で回収した古着は、シカゴで売らないのですか?」
シカゴ専務の返答:「いや、まぁ、私たちはファッションを売っていますので・・・」

俺たちBOOk OFF的な店じゃないぜ!ってわけだけど、シカゴ的には、リサイクルとはいえ国内循環は無理といってるわけである。とにかく、いちばんコストがかかるのは、仕分け。シミがついたものだの、「ファッション」じゃないものだの、大量に流通したファストファッションの服だので溢れる衣料の山から、商品になる宝を探すのは割りに合わないのだ。

同行した、とある役所の環境課の方が、しきりに「リサイクル衣料品の回収率を上げるぞ!」と息巻く。リサイクル率があがればそれでいいのか?消費社会において、「買うな」というのは欺瞞だけれど、「捨てよ、増やせよ」的スローガンは、ただただ表層的でいかにもお役所的だなぁ・・・と思うわけである。

昼食に、利根川で獲れたという(本当か?)うなぎを食べて帰る。隣に座った60がらみの女性が、しきりに「自分はなぜ特上を頼まないか」を説明する。そんな話をハハハ・・・と受け流す私の向いに座った役所の方は、特上のお重を前にして、リサイクルの重要性を語るのだった。
彼女の冷めゆく鰻重をながめながら、私は鰻を食べる。あ、なんだ、初台の鰻屋の方がおいしいじゃん、と思いながら。

カジュアルの困難

昨年12月のことだが、友人のおこぼれにあずかって、コリン・カリーグループによるスティーヴ・ライヒ「ドラミング」ライブ@初台オペラシティへ。御年76歳(!)ライヒ氏も、ハンドクラップで1曲だけ演奏。ちょっとハラハラするような弱々しいハンドクラップも十分聞こえる、前から2番目だか3番目だか4番目だか5番目だかの、とにかく良い席で鑑賞。気持ちよすぎて寝ちゃうかな、とも思ったのだが、コリン・カリーの独特なリズムを取る身振り(顔を天に向け、ゆっくりと振り下ろす)、楽器間を移動するミュージシャンたちの動き、スペクタクルとしても十分楽しめた。

で、クラシカルなホールに立つシャツとパンツのミュージシャン、そしてトレードマークともいえるキャップをかぶったライヒ氏たちのカジュアルさを見ていると、日本人のカジュアル下手を思わずにはいられないのだった。たどたどしいノータイクールビズ、このシャツでいいのかわからんし落ち着かないけど、とりあえずネクタイははずしてみる。だってそれが決まりなんだろう!? 

ちょうど選挙で盛り上がっていた(?)ということもあり、相も変わらず「あああああ」と目を覆いたくなる政治家たちのダサさも脳裏に浮かぶ。政治家のスタイリングをしているという女性が繊研新聞で、「高い服を着ると、民衆からの反発くらうから、頓着しないらしい」とダサさの秘密を説明していたが、高い服=オシャレって考え方が、もう、お里が知れる。だったら、J.Crewを着るミシェル夫人よろしく、日本の国民服ユニクロでも着ればよかろう、いやでもユニクロはデフレの元凶とか言われちゃったりしてるので袖を通すわけにはいかないか、ではこだわり仕立てのスーツでも着て日本の企業を応援すればって、むしろ企業にとっては大きなお世話、どころかイメージダウンになりかねん。ミキハウスと林真須美の関係のごとく、っていったら言い過ぎか。
 
こんなことぼんやり考えてたら、いつぞやの羽田氏の「省エネルック」を思い出すのだった。誰も真似するわけがない、むしろ絶対避けたいと思わせることに無自覚すぎる、虚し・恥ずかし・明後日の方向を向いたパフォーマンス。ファッションは、自分のイメージを形成する重要な要素、というよりそのものなのだから、誰がダサイ人の真似をしたいと思うのだろう。模倣は威光によって生じる。

ジュリエット・ビノシュの顔

セドリック・クラピッシュ『パリ』で久々にジュリエット・ビノシュの顔を見たのだが、ずいぶん変わったなぁと思うのである。端的に年をとったということだが。劇中では40歳という設定だったが(実年齢は44)、日頃日本のファッション誌でつやつやピカピカつるつるで「カワイイ」アラフォーを見続け(毒され)ているせいか、くっきりしわのビノシュが最初は老けて見えてしまった(上『ポンヌフの恋人』1991年。下が『パリ』2008年)。

フランスは、バーキンとかナチュラリスト傾向も強くある。『デボラ・ウィンガーを探して』であるハリウッド女優が、ハリウッド映画では男か、若い女が語られがちなことを嘆き、仏映画の『まぼろし』のシャーロット・ランプリングの役どころをうらやましがっていた。「あの人、もう60よ!」、と。日本でも同様だろう。風吹ジュン主演の『魂萌え!』なんてのがあったが、まぁ色っぽい(映画)とは言えない。あ、あと女でなくて、「母物語」が多いか・・・。

常盤貴子が映画『20世紀少年』や大河ドラマ『天地人』に出演していることもあって、いろいろメディアに出ていて私もいくつか見た。『20世紀少年』のインタビューでは、三部作長編で登場人物が年を重ねていくので、そのつど老けメイクを施すのだが、エキストラが多いなかで、「これが私の本当の顔だと思われたらどうしようと思った。『老けメイクなんですよ!』って言って回りたかった・・・」といったようなことを語っていた。『天地人』では、現場の入りが夜になりがちで、「メイクののりが悪くなってしわが出る。女優としては嫌ですね」と、顔のことばっか。

YUKOという「顔」

ちょっと前にハウスのみなとキッチンで飲み食いしたときに、ハウスの兄かつムードメーカーのSが冗談で「この家には6人目の住人、YUKO(幽子?)がいるよ~」なんて話をしてきた。それに便乗した隣人が「これのことじゃない?」と、ヘアカット練習用のマネキン生首を取り出してきた。前に住んでいた者が置いていったものである。

それ以来、その生首をあらゆる場所にしかけて住人を驚かす、という心臓に悪いゲームが流行りだして、びくびくする生活なのである。階段を上りながらフッと前方をみやったらYUKO。思わず「ギャーーーッ」と叫んだら、階上の住人から笑い声。驚かされた方は悔しいので、おのずと次の仕掛人となる。廊下、トイレの便器の上、洗面台、脱衣所、ベランダ、靴箱・・・といったさまざまな場所に仕掛けられていったが、ついにある住人がメールで「死人がでそうだから、このゲームやめようよ・・・」と訴えてくる。そうだね、バカらしいよね(もう仕掛ける場所もナイしね)、やめようやめようという気分で帰り、トイレの便器に座ったら上方から見下ろすYUKOと目が合い、またも「ギャーーーッ」。ドッキリメールにひっかかる。えー加減にして欲しい・・・。

あと、こんな使い方って大丈夫なの?と、なんとなくYUKOを冒瀆しているような気になってしまったりするのは、やはり「顔」があってこそ(しかも名づけもされている)。ジンメルがいうように、顔は「単なる精神の象徴としてではなく、代替不能の人格としての精神の象徴として感受」されている。

恥ずかしい身体

ゴス文化に詳しいというSさんと、新宿「こんばん屋」という店で会談。しかしどんどん「身体の恥ずかしさ」についての話に移行していく。

公共で裸になれないというレベルも含め、誰だって身体に対して「恥ずかしさ」を抱えているが、その方の感じる「恥ずかしさ」がちょっと脅迫的(かつ”古風”)で、なかなか興味深いお話を聞かせてくれた。「そんなに恥ずかしくて、じゃあ初めてのセックスはどうしたんですか?」と訊くと、「どうでもいい人とやった」とのお答え。「旅の恥はかきすて」じゃんか。身体への意識が高まれば高まるほど、自分の身体は「恥ずかしい」ものになっていくから、ファッションや化粧、肉体改造など「私の身体」が追求される現在、上のような傾向は強くならざるを得ないのかもしれない。

ある「呼びかけ」の風景

 警官が「《おいそこのお前!》と呼ぶと、それが自分のことだと信じて/そうではないかと考えて/分 かって、一人の個人が(たいていそれが当の人物なのだが)振り返る」。「呼びかけの機能作用は、個 人がみずからのものだと認識している一つの社会的役割を個人に割り当てることで、彼をイデオロギー に服従させる」
    ―――ルイ・アルチュセール

最寄り駅から自宅までの道をパラリラパラリラ・・・と自転車で進むヨーク。ある交差点に警察官らしき人物が立っているのが見え、すぐに「あ、しまった!」と思ったが、すでに時遅し。「あーちょっとちょっと、そこのキミ!止まって!」と「呼びかけ」られる。

(小雨ぱらつく交差点。30代とおぼしき警察官が用意してあったビニール傘を差し出しながらいう)
「少し話しを聞くから、ええと・・・この傘をさして」
「いりません」
「あ、そう」
「私これまで何回も(この尋問)やってるんですけど」
「あ、そう?でも僕はキミ初めてだから」
「(まったく・・・)」

「じゃぁ名前教えて」
「なんで教えなきゃいけないんですか。個人情報です」
「それで何か悪さするとでも思ってるんですか!」
「だってあなた、見ず知らずの得体が知れない人じゃないですか」
「警察官じゃないっていうわけ!?」
「100%そうじゃないって言い切れないでしょう」
「・・・警察手帳だって持ってますよ、見せたっていいですよ」
「いえ別にいいです、特に疑ってませんから」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・じゃあ、名前言って」
「言う必要はありません。それ、義務なんですか?」
「・・・捜査に協力いただくということですが」
「協力を断ったらダメなんですか?」

(見つめあう二人。しばしのち、30警官はヨークの自転車を舐めまわすように見ながら言う)
「ふーん・・・何か名前を言いたくない理由があるんだ~。なんで名前言えないんですか~?。おかしいですね~」
「(あ、コイツよくありそうなこずるい言い方してきやがる)」

(なんのかんのとやりあっていたら、横断歩道の向い側で張っていた、50代らしきもう一人の警官が助っ人としてやってくる)
「なになにどうしたっての」
「いや、名前言えないっていうんで・・・」
「えーーなんでだね(ジロリ)」
(そんなやりとりをしながらも30警官はヨークの自転車をチェックし、手に持っていた捜査機械にヨークの自転車登録ナンバーを打ち込んでいる)

(ヨークはそんな30警官を横目に、50警官に言う)
「こんな自転車より、あそこ調査した方がいいんじゃないんですか?」
「なんだね、どこのことだね」
「あそこです」
(と、向かいのマンションの一階にある、ある「健康」食品店を指差すヨーク)
「老人に卵やらなんやら配って、高額な羽毛布団買わせる例のやつですよ」
「そんなことは今関係ない!!」
(いきりたつ50警官)

「あんた、どこに住んでるの!?」
「え?そんなこと言うんですか!!」
「だってあんた酒飲んでるだろう(時は深夜1時であった)。飲酒運転だよ、わかってんの!?」
「はい、そうですね」
(開き直ったヨーク、ここで罰金を覚悟する。「支払いは月賦でいいですか?」との答えも用意していた)
「家がここから遠いんなら、自転車押して帰ってもらうから。どこなの?」
「そうですか。すぐそこの○○○○です」
(自宅近辺の通称を答えるヨーク)

「え?それどこ?」
「えー知らないんですかぁ。ここちょっと行って曲がったところですよ。ここで調査しているのに知らないんだー。わー」
(大げさにはやしたてるヨーク。確かに家はここ尋問場所から近い。が、ここら一帯は市と市の境界が入り組んでいる地域。尋問場所と我が家は異なる市だから、おそらく50警官は担当ではない他の市の地理に詳しくなかったのだろう)

「あ、そう。近いならいいよ、気をつけなさい」
(50警官、優しい警官ぶる)

(しかし、この尋問の最重要ポイントは、ヨークの名前を聞き出すことである)
「で、名前なんでいえないの。やましいことでもあるの」
(30警官はさきほどからの作戦を押し通す)
「そうじゃないですよ」
(しかし、もうこのやりとりにも飽きてしまったというか、ハタとバカバカしくなる←もっと早く気づけ?)

「どうなんだ、えっ?」
(と、明らかにヨークを盗っ人と思い込み、にんまりと笑う30警官に、)
「○○○○ですけど、何か」
(捜査機械に情報を打ち込む30警官)
「・・・・・・・・・・・・・・漢字は!?」
「生まれるの“生”に、実るの“実”ですよ」

「・・・はい・・・・・・。ありがとうございました・・・・・・・・・・」
「さよなら」
(パラリラ、パラリラ・・・とヨークは飲酒自転車を走らせるのだった)

こんな警官ばかりではない。知人からヤクザみたいな警察官とのすったもんだ話を聞かされたこともある。あまりにもひどかったその警官の態度を訴えるべく、その血気盛んな知人は後日警察署に出向いたらしいが、そこで偶然にもそのとき会ったヤクザ警官と再会し、またすったもんだやったとか。
市民も警官も、やっかいな奴には気をつけましょうね。

ゴスとアンチ・カワイイ

以前書いたように、「ゴス」と「ゴスロリ」について書く予定があるので、それに関連する本やらムックやらをドバッと購入し、パラパラと眺めている。翻訳したクリス・ロジェクの説明を要約すれば、イギリスのゴスカルチャーは西洋における主流の文化への抵抗である。主流に迎合しない「個人主義」や、消費文化(や軍国主義)に対して「死」をつきつける態度を身体化するものとして、彼女らの白塗り、黒いアイシャドウといったメイクや、黒づくめのファッションや、一般的な「美」からずれた価値観を身にまとっているというわけだ。反近代的ともいえるだろう。

そんな「ゴス」に「ロリ」が付いているのが「ゴスロリ」のポイントだ。ロリータ=幼児性といっていいと思うが、要は「カワイイ」ということだろう。そうなると、一見すると「ゴスロリ」はゴスより安易な実践のように思えるかもしれない。しかし、手元にある「ネオ・ゴシック・ヴィジョン」というアトリエサードから出ているムックを読むと、単なる「ゴス」より「ロリ」が加わっている者の方が複雑であるという。

「ゴスは闇に憧れているが、ロリータは闇を求めすぎた結果、うんざりして光を求めているのかもしれない。・・・ゴスにはまだ現実を見つめていられるだけの精神力が残っていて・・・可能性をどこかで求めながら、叫び続けているような強さがある。しかしロリータは・・・世界に軽やかに見切りをつけて、自身のなかに広がる妄想世界に身を浸しながらも、この世界を別の次元で生きているとも言える」(西川祥子)。

ゴスが現実に立ち向かうのに対し、ロリはそこから目を背ける、そんな二つの態度を合わせ持った「ゴスロリ」は確かに単純なものではなさそうだ(ちなみにイギリスの「ゴス」と日本の「ゴス」は、だいぶ異なる文化である。日本のそれは抵抗というより、澁澤龍彦、土方巽、寺山修司、四谷シモンなどなどを源にした、退廃的な美の価値観(エロ・グロ・ナンセンス的な!)が中心にある)。
とはいえ、どんな文化でもそうだが、単なるファッションとして消費されているということも少なくないだろう。一般的な「カワイイ」のアンチだったはずのゴスが「カワイイ」ものになる。そんな状況に苦言を呈したのか、コム・デ・ギャルソンの2008AWコレクションのテーマは「アンチ・カワイイ」のゴススタイル。「カワイイ、カワイイ」に溢れた日本の状況へのアンチ、であるのだが。

今日のゴスはここまで。

健康日本21

インターネットで調べ物をしていたら、「健康日本21」のサイトに飛んだ。「健康日本21」とは、2000年より厚生労働省によってはじめられた「21世紀の国民健康づくり運動」の通称である。健康増進法もその一環だ。お国が掲げるスローガンはたいがいうさんくさいことはわかりきったことだし、この運動が始められる以前から平均身長だの、平均体重だのといったもので「理想的な」あるいは「普通な」身体が示されてきたわけだが、「健康日本21」の目標値の一覧表を眺めると、あるべき身体への構築が、国によって押し進められていることが改めてよくわかる。そしてあらゆる広告や商品が、その目標値に向って努力しなければならないと、われわれにはっぱをかけているのだが。

1日に取るべき塩や野菜、カルシウムの量、これは商品のセールスポイントとしてよく使われている。「自分の適正体重を認識し、体重コントロールを実施する人の割合が2010年に90%に達すること」、つまりダイエットは「普通」の人間ならすべきこととなる。高齢者の70%が外出に積極的にならなければならないらしい、未成年者の喫煙・飲酒は0%が目標、最後の1人まで狩られるらしい(?)。ちなみに多量に飲酒する人の割合は、現状で男性が4.1%、女性が0.3%だというが、計算してみると、ああわたくし0.3%のうちの1人だわ、光栄なことです、どうも。

で、このウェブでは、その他さまざまな調査のデータを見ることができるのだが、ためしに「未成年者の喫煙および飲酒行動に関する全国調査」(平成12年)を覗いてみた。詳細は省くが、調査のまとめとして、喫煙者や飲酒者には気分が落ち込んだり興味や楽しみが持てない人の割合が多いということが示されている。病んだ若者がそれらに手を出すというわけだ。卑怯なことに(?)、非煙者や非飲酒者の数値は出されていないが、煙草やアルコールを摂取しない人の方が「気分の落ち込みが全くなく楽しく健全な生活を送っている」ということを暗に示しているといえよう。しかし、気分が落ち込んだり、興味や楽しみが持てないといった気分は異常だろうか。それはむしろ「アイデンティティ・クライシス」といった用語で語られてきたように、青年期には必ず襲われる不安である。だからこの調査のようにこじつけてみるならば、むしろ何の不安もないほうが「異常」なのではないか。

あと、煙草関連でもう1つ。ラジオから「喫煙者の夫、その副流煙によって癌の発生率が高まる妻」という調査が紹介されていた。その逆はないのかい?喫煙者の妻と煙草を吸わない夫、という。まぁ、あまりないのだろうな、とは思うが。

宝塚体験と異装

12月8日、日比谷の東京宝塚劇場で初の宝塚鑑賞。何ヶ月か前にチケットを買ったのにいけなくなってしまったので、今回はリベンジ。とはいえ・・・そもそもミュージカルが嫌いだし、宝塚も「まぁ一生に1回くらい見てもいいか」程度の気持ちだったのに、なんと公演は3時間(間に休憩が30分入るが)だというので、公演当日になっても腰が重く、だらだらと準備をしていたら、時間に大幅に遅れてしまった。

演目は花組によるミュージカル・ピカレスク「アデュー・マルセイユ」とグランドレビュー「ラブ・シンフォニー」。春野寿美礼氏のさよなら公演だったらしく、超満員の会場で「スイマセンスイマセン・・・」と腰低くして自分の席にたどり着く。2幕目のレビューから鑑賞。

ステージ衣装というのは超日常的なものになることが多く、傍から見ていると笑えるものが多いが、宝塚の異常さは群を抜いているだろう。ジャニーズの衣装もそうだけど、夢を見させるにはあれぐらいに現実から遠く離れなければならない。もうすでにあるのだろうけど、ヅカ系の女性のホストクラブってはやりそうだけどな。そういえばホストの身なりも「異常」。いつの時代だよ、と突っ込みたくなるようなカマキリのような髪型とか。「普通」の男性だと、金で男を買っているということがリアルになりすぎてしまうからだろうか。そうなると、まだまだ女が男を買うってのは社会的に強い抵抗があるんだろう、男性がそこいらの姉さん(というのは大雑把か?)がいるキャバクラに行くのと違って。
途中、バレエのチュチュのような衣装を身にまとった「娘役」の方たちが、手をつないで一列になって、足をあげさげするダンスを披露しており、私は思わず臨席の友人に「あ、文明堂のカステラだ!」と言いそうになったが、オペラグラスで熱心に鑑賞している回りの人びとのことが気になったので、1人おかしみを噛み締めていた。しかし出演者が順番に挨拶をしていくフィナーレでの、宝塚といえば!の羽根の衣装登場には笑いが耐えられなくなってしまった。組における地位が高くなるにつれて徐々にボリュームを増す羽根・・・、あの超-無意味な羽根・・・。下を向いて顔を抑えて「ククク・・・」していたのだが、隣の席の女性に覗き込まれてしまった。この日はさよなら公演だから、泣いていると思っただろうか(写真は実際に春野さんが身に着けていた羽根。「宝島プレシャス」より)。

宝塚は女性が男装をする「男役」が人気だが、この異装は、われわれを不安にさせることはない。石井達郎は『異装のセクシュアリティ』において、レズビアンの男装を「男と女の性役割の相違においての『男の積極性』のニュアンスを残している」といい、彼女らの実践が男女の二分法を温存するものであることを暗に指摘しているが、スーツやタキシードといった従来の「男性服」を強調する宝塚の「男役」のそれも同様だろう。もちろん、宝塚はレズビアンからなるパフォーマンス集団ではないのだが、そうであるがゆえ(政治性がないため)、その男装は安心して見られるものになっている。先に宝塚の世界を「超」現実といったが、男/女の二分法を保持しているという点ではきわめて「現実的」である。

しかし、ジュディス・バトラーは『ジェンダー・トラブル』のなかで、次のように異装のパフォーマティヴィティの可能性を指摘する。
「異装が『女』という統一的なイメージを作るものであるにせよ(異装を批判する人がよく弾劾する点である)、それは同時に、異性愛の首尾一貫性という規制的な虚構をつうじて統一性として誤って自然化されているジェンダー経験のさまざまな局面が、それぞれまったく別物だということを明らかにするものである。ジェンダーを模範することによって、異装はジェンダーの偶発性だけでなく、ジェンダーそれ自体が模倣の構造をもつことを、明らかにするのである」と。

同調する身体――ヤマザキナビスコカップ@国立競技場2007.11.3

「野球とかサッカーに集まる大観衆はなんだろうか。観客はただの傍観者、勝敗にエキサイトして騒いでいるだけではないか、という人もいるだろう。なぜ、人はスポーツを観るのか?という設問は一見したところでは、なされてしかるべきもののように見えるが、実は設問自体が間違っているのである。・・・略・・・観客として味わうエキサイトメントに、スポーツの社会的、文化的本質が含まれているのである」〔多木浩二1995〕

「2007Jリーグヤマザキナビスコカップ」を観戦してきた。これまでスポーツにほとんど関心がなかった私だが、多木浩二氏の『スポーツを考える』ぐらいは学部時代に読んで所有していたので、行きの車内でパラパラと復習。今回はその本と、渡辺潤『ライフスタイルとアイデンティティ』のスポーツに関する章を参照しながら、「ナビスコ体験記」をお送りしようと思う。

国立競技場の最寄り駅「千駄ヶ谷」に到着。しょっぱなから文句をたれるようだが、同じ目的でこの地に訪れたであろう人びとの群れを見るだけで、まずげんなりする。これは何もスポーツの場に限ったことではない。大学受験のときも何よりコレがイヤだった。アリの群れのように駅からゾロゾロと歩いていくさま。まぁ、すぐに慣れてしまうのだが、大げさなことを言えば、これは清水学がいうところの、自分の「分身」に出くわしたときの不安であるかもしれない。

「前方から近づいてくる人間が自分とまったく同じ衣装を見にまとっていることに気づくときの、あの感覚。・・・もっと単純に恋人を他人に奪われるというような瞬間・・・。まるで自分という人間から、ふいに足場がとりはずされてしまったかのような感覚をもたらすのだ」〔清水1999〕。

当然ながらこの手の不安は、例えば「私だけのトム(ハート)」などと、思い入れのあるアーティストのライブを観に行くとき強く意識されるものだ。もちろんこの不安は不安で終わらない(こともある)。自分の「足場がとりはずされて」しまうのが、「一体感」なるものの快楽の基本であろう。

前置きが長くなったが、そんなことを思いつつ会場入り。試合開始前から両チームの応援合戦。座席の横に丸めて置いてあった、かわさきふrチームカラーである水色の紙を頭上に掲げる。われらの座席付近では、こういった儀礼行為への参加がまばらで、応援団員が叱咤(?)しにやってくる。「選手が入場してきたら紙を掲げてください!そして裏側に載せてあります応援歌をともに歌ってください!」。私は思わず「イヤダ」とつぶやく。

私は、フロンターレにもガンバにも愛着はないが、どちらかに愛着を持ったほうが、観戦が面白くなることは知っている。「スポーツの面白さは、主として選手の見事なパフォーマンスに依存している。・・・エキサイトメントの本質・・・それは単純にいうと脱自の状態、他者への同化のなかで生じている」〔多木〕のであるから、同化する身体を定めなければならないのだ。試合開始前には巨大スクリーンで、両チームの選手紹介が派手になされるから、じっくりと「同化する身体」の品定めができる。スポーツとメディアの関係は密接だが、それはテレビやラジオだけに限らず、このような「ライブ」の場でも同様だ。今シーズンの両チームの活躍がダイジェストでまとめられ、チームや選手に対する「真偽のほどもしれない感情移入をさせてくれる」〔多木〕。

結局私は、バレー選手に惚れ「ガンバ大阪」を応援することに決めた。連れは当然「川崎フロンターレ」を応援するという。別のチームを応援することはちょっとした「遊び」だ。「勝負の遊び(アゴン)」は、しばしば「賭けの遊び(アレア)」になるとロジェ・カイヨワは指摘した。競馬や競艇といったギャンブルはいわずもがなだし、もちろんサッカー(Jリーグ)も賭けごとの対象だし、そのほか勝負あるところの裏には必ず「賭け」が遊ばれているはずである(金銭が介在するか否かに関わらず)。そしてその「賭け」は、他の「賭け人」との勝負になる。馬券がはずれて悔しがるとき、そこには、例えば大当てした知人/友人に負けたことからくる悔しさもあるのだ。

昨年の有馬記念で連れが勝ったので、そのあぶく銭で一緒に飲み食いさせてもらったが、やっぱり悔しかったもんである。とまぁ、連れと異なるチームを応援することは、連れとの勝負という別の楽しみを提供してくれ、より選手への同化は強まる。まさに私はバレー選手となって、連れ(川崎フロンターレ)と勝負するのだ。
試合開始。テレビでもスポーツ観戦はほとんどしない方だが、それでも、ときに批判の対象となる解説やコメント、あるいはプレーの再現(スローとか)がないのは奇妙な感じで、メディアの力を改めて思い知ったのが1つ。そして、なんともまぁフラストレーション溜めさせるスポーツだというのが1つ。野球と異なり、攻防が瞬時に入れ代わるスピーディな展開がサッカーの魅力というけれど、とんでもござんせん。90分間ほぼイライラしていたというのが正しい。そしてそれは、やはり点が入りにくいということに尽きる。というか、はっきりとした「勝負」あるいは「対決」の瞬間が見えづらいのだ。

多木は、アラン・エルベールのスポーツの定義、「平等から出発して、最終的に不平等に達する過程」をうけて、スポーツの過程と結末を「0→+/-」と表記している(もちろんこれは原則であって、最初から不平等があることもある。例えば順番、ドーピング・・・)。多木のこの記号は、あくまでも試合開始とその結果を表したものだが、試合過程はこの「0→+/-」の繰り返しにおもしろさがある。つまり、たとえ1点取られても、また1点取り返せば「0→+/-・・・0→+/-・・・0→」となるわけである。実況レポーターの「さぁ、わからなくなってきましたぁー」というやつだ。

サッカーはこの「0→+/-」の動きが極端に少ないから、イライラムカムカとフラストレーションが溜まる。もちろん、他のスポーツでも、はじめから終わりまで一方の優勢で、つまり「0→+/-」が変化することなく終わってしまう場合もある。だがそれでも、+/-から0に向っているという、その力をはっきりと実感できる瞬間があるスポーツの方が多い。つまりそれは、点が相互に入りやすいということに尽きてしまうのだが、例えば、バスケットやバレーボール。応援するチームが負けたまま試合が終わってしまおうとも、それらは点取りが比較的相互になされるスポーツだから、イライラムカムカを消化できる瞬間がある。あるいは1対1の対決を見せる野球もそうだろう。フラストレーションが溜まりに溜まるがゆえに、その1点に異常に狂喜乱舞できる。だが、こまめに、一瞬だけでもイライラが解消できないサッカー。負ければ、もうそれはなんともいえないやりどころのない怒りになる。そしてフーリガン。
ところで、やはり「サポーター」たちの応援のありようは興味深い。いろんな方々のブログを拝見してみたが、あの「異常な」応援の仕方には、「ゲームを楽しんでいない」とか「海外の猿真似」など否定的なものがチラホラと。確かに、応援団長の指揮のもとでなされるあの規律だった応援にはむしろ、「点取ったのにうれしくないんかな?」と思えるほどの「無感情さ」を思ったことは事実である。あるいは頭上に掲げられた紙、「えー!それじゃあ選手登場見れないジャンーー」。

「一緒になって踊り、声をあわせて歌い、かけ声をかけ、声援を送る。そこに、共通の関心、好み、立場、あるいは考えをもった人びとの集まり」によって形成されるものを、グロスバーグは「愛着同盟」とした〔渡辺2007〕。

サッカーだけに限らず、野外フェスティバルやレイヴ、あるいは「コミケ」など、90年代以降、巨大な「愛着同盟」を結べるような場が次々と登場した。もちろんそのような場は90年代に入って突如として現われたものではない。だがなぜ、それらが巨大化し増殖し、多くの人びとを集めたのが90年代以降だったか。

「現代はしっかりとした神話や伝説が失われた反面、さまざまな物語が氾濫する世界。自己を縛る古くさい習慣からはときはなたれたが、それにかかわるじぶんなりのアイデンティティを見つけなければならない社会。生きられるわたしを意味づける材料にはこと欠かないが、逆にたしかなものは見つけにくい。メディアと一体になって提供される音楽やスポーツが、魅力的な物語の供給手段であり、それが『わたし』を物語るための材料となることはまちがいない」〔渡辺〕。

名前も知らぬある人から、「なぜ今カーニバルが必要か?」と問われたのだが、それに対する答えはここにあるような気がする。ただし、カーニバル(祭り、儀礼)の基本である、自分の社会的ポジションの「零度化」ではなく、「たえずなにかにじぶんを重ねて確認しつづけること」〔渡辺〕なのだが。

ちなみにこの日は、わたしが同一化した身体が勝ちました。うふ。

スポーツしない私の身体―スポーツ観戦の前に

小学校3,4年生の体育の授業では、いつも終わり15分前になると、先生がさも「しょうがないから遊ばせてあげる」と言わんばかりに、ドッチボールやらなんやらみんなで楽しむスポーツを「遊ばせて」くれた。体育の授業内であるのだからそれも我慢しなければならないのだが、誰もがドッチボールが好きだなんて思ってもらっちゃあ困ると思っていたし、先生のそのような態度は恩着せがましいものと感じられた。そういえば「リクリエーション」の時間はきまって何かスポーツの時間だった。 それでもまだ、自分がスポーツ嫌いだということをあまり自覚していなかったのだが、野球のまねごとのようなものが行われたある日の「リクリエーション」後に、ホームルームで担任の先生から「オマエは協調性がない!!」とクドクドクドクド説教垂れられてから、私は自分がスポーツ嫌いだということを強く意識した。

国語や算数などのいわゆる座学のテストの点数は基本的には隠されていたけれど、身体の点数は常に暴露されているというのにも不満だった。それだけ、体育の授業は座学の科目と比べて取るに足らないものと見られていた(いる)といえるのだが(もちろん、心/身の問題というより受験の問題、社会の問題である)。

高校に入ると、いかに体育の授業をサボるか・・・ばかり考えていた。落第しないように、生徒手帳にサボった回数、遅刻の回数をこまめに記入する。遅刻を3回すると1回のサボりとカウントされる。出ようと思っていても1時間目の体育の授業には間に合わないことが多く(某担任に遅刻の女王と銘名されたこともある私である)、けっこうヒヤヒヤしながらの毎日であった。だからか、今でもときどき「高校を留年するかもしれない!」と慌てふためいている夢を見る。そのとき私は、例の生徒手帳に記入されたサボりと遅刻の回数を何度も計算しているのだ。

ハッと起きて、「大丈夫、高校なんてとっくの昔に卒業したんだよ」。

曖昧な身体―ジャン=クロード・コフマン『女の身体、男の視線』

ある友人(子持ち/男)が、夏休みに子供とプールに行った話をしてくれた。やはりというおうか、女性たちの水着姿を十二分に堪能したようで「イヤ~目の保養になったなった」とお腹いっぱいそうに話す。プールや浜辺は、「見る」男/「見られる」女という図式がはっきり見える空間であると言えるだろう。あるワイドショーでも、浜辺をフラフラ、高性能のカメラでギャル達の水着姿をパシャリパシャリしている男性たちが続出!といった事件が紹介されていた(女性だって「イヤラシイ」視線で男性を眺めることだってあろうから、問題は写真としてコレクトするという、男性の「収集」「フェチ(物神崇拝)」にある。まぁこれは別の話である)。

女性たちは「見られて」いるが、しかしまた同時に「見せて」もいる。この境界線は非常に曖昧だ。その線引きは個人的になされるし、状況や相手との関係性によっても変わってくる。「あんたらに見せるために着てるんじゃない」、「別に誘惑しようなんて思ってない」、「あんたがそれを言うのは気分が悪い」など、「見る」側と「見られる」側の状況認識の相違。痴漢やセクハラ問題の難しさのひとつはここにあろう。

ジャン=クロード・コフマンは、浜辺のトップレス女性たちの意識調査を『女の身体、男の視線』(新評論2000)にまとめている(調査場所はフランス、ブルターニュ地方の浜辺。調査年はざっと読み返してみた限り探せませんでした、分かり次第明記しますがおそらく80年代後半から90年代初頭。ちなみに原著は1995年出版)。

そもそも、「社会的に身につけるべきものを剥ぎ取る」という意味でのトップレスは、60年代にアメリカを中心として起こった身体解放運動に負っている。ドラッグ、ヨガや瞑想などの東洋的身体修行、ボディペインティングやポスト・モダンダンスなど、新たな身体感/観の獲得を通して、社会のルールや心身二元論(心が体より上)を批判し、社会的な抑圧からの解放の身振りが追及された。


トップレスもそのような解放かつ反抗の身振りとしてあったわけだが、コフマンが調査した時代・場所では、そのような意味は、女性たちだけが戸惑いを伴いながらも受け継いでいるだけである。
コフマンが議論のポイントとしてあげるのも、その彼女たちの戸惑い、つまり「見られる(受動)/見せる(能動)」双方を抱え込んだ彼女たちの曖昧かつ矛盾した実践である。「見せてるわけじゃない、でも見られて悪い気はしない、でも妙な視線で見られるのはイヤダ!」というわけだ。

これには当惑してしまうかもしれない。でも、それまでただひたすらに「見られる」存在として対象化されてきた「口無き」女性たちが、対象化されることを問い出した結果であるにすぎない。身体の「美くしさ」に対する考え方にも同様のジレンマがあって、「若さが何よ、美しさが何よ、そんなもんは関係ない!誰でも自由にトップレスになるべきよ!」と叫んだ後で、「でもやっぱり皺くちゃだったり、垂れ下がった胸をさらけだすのはどうかと思う。でももちろん自由なんだけど・・・」などと歯切れが悪い。

ときに「見られる」こと(対象化されること)に喜ぶし、「美しさ」の価値基準も完全に捨て去ることが出来ない。当然だ、社会はそのように彼女たちを眼差し捉えるのだし、彼女たちはそのような社会に関わり生きている。自分勝手で我儘に見える彼女らの言い分、でも、彼女たちはそんな曖昧な身体を生きざるをえない。誰とも関係しないのであれば事は完璧に行われるだろう。


ノベルト・エリアスは女性たちのトップレスは、外見上の解放にすぎず、むしろ増大した自己抑制の能力だけがこれを可能にしていると述べている。「解放された身体」を呈示するために、あくなき努力――美しい身体構築、もろもろの手入れ、「解放」しても危険がなさそうな場所選び、トップレスになるにふさわしい時間の見計らい、ときにはイヤラシイ視線をやりすごす図太さ、あるいは「流行」への対応――が要求される。コフマンはトップレスの実践をゲームとして分析している。

だらしなく見える肌を露出させたギャルたちの身体も、そのような規律を引き受けて・・・いるのだろう、多分。
クラブ/レイヴでの身振りも同様に。「私、ただ踊り狂いたいだけだもん」という、音楽/ダンスへの欲求、個人的なダンスの遂行、対象化されない身体の志向。でも眼差されることは重々承知、である。「見せてるわけじゃない、でも見られて悪い気はしない、でも妙な視線で見られるのはイヤダ!」。
女性のなりふりかまわないダンスの身振りが「男入ってる」なんて、どうしていえよう。その身振りはただ、曖昧なのである。

「美人」は何処へ?―井上章一『美人論』『美人コンテスト百年史』(後編)

先回、明治期に身分制度が解体された結果として、身分や血筋ではなく「顔の良さ」で結婚相手が選ばれ得るようになった、つまり近代化とは「男の面食い解放化」なのだという井上の論を見てきた。この「面食いの解放化」によってもたらされたのは、(1)花柳界の玄人だけではなく素人もそのルックス力で価値付けされていくがゆえに、むしろ女性たちがルックスという強力な武器を獲得したこと(すべての女性が売春婦に!)、(2)「美人」であればどんなに身分が卑しかろうが総理大臣の妻の座を射止めてしまうといったこれまで強固だった社会階層秩序が乱れる、というこの2点に集約できるだろう。それをなんとかおしとどめようと、「美人排斥・罪悪論」が展開されたというわけだ。修身(道徳)教育で、「美人はダメ、ブスはよろしい」と堂々と教えこんでいたのである。

この修身教育がどれほど女性たちに浸透していたのかを示す好例として、1907年に行われた「美人コンテスト」での一騒動がある。これは素人娘を対象としたものでは日本初のコンテストであるが、「美人は堕落している!」と叫びながら、美しい顔を競い合わせるとはなかなか矛盾している。それほど当時の日本は近代化するべく、ありとあらゆる欧米の文化を取り込もうとしていたのだ。

つい先日までは「美人の品定め」は玄人の世界に限られたことであり、さらに「美人排斥論」が大手を振っている。そんな状況にあって、素人の女たちが自ら進んで自ら進んで「美人コンテスト」に応募しようとは、簡単には思い至らない。実際に、この初の素人美人コンテストで優勝した末弘ヒロコさん(学習院中等科三年生。当時16歳)は、義兄の手によって知らぬ間にコンテストに参加させられることになったのだが、泣きながら出場取り消しを訴えたという。その訴え聞き入られず、結局末弘さんが優勝してしまうのだが、それを知った学校側は彼女を退学させている。「我が校に『美人』がいるなどケシカラン」というわけだ。

このような「美人」は罪だとする、「美人排斥論」はそう長くは持ちこたえない。どんなに「美人」がダメだと言われようとも、「美人」に魅かれてしまうのはどうしようもない。危険なものにこそ魅かれてしまうということもあるだろう。そして「美人」に魅かれるのは男たちだけではない、女たちも雑誌などから「美人」のイメージを吸収し、「美人」に憧れる。舶来物の化粧品や洋装に興味を持ち出すのと同様に。男女が共犯的に「美人」という幻想を作り上げる、男の欲望する「美人」、女性が憧れる「美人」、それは決してイコールではないにせよ(だからこそ面白い)。

「美人排斥論」が展開された理由のひとつに、社会階層秩序の乱れへの懸念があった。しかしそれは確固たる階層を前提とした議論であり、戦後民主主義の時代に入って、不平等や差別に疑問が突きつけられていた時代には当然なじまない。「一億総中流」かのような見かけが徐々に取り繕われていけば、「身分違いの恋」なんてもんはアナクロっぽく感じられるようになる。 そして民主主義は「美人」のコンセプトにも変化をもたらす。「美人/不美人」という二項対立はナンセンス、「女はみんな美しい」というわけだ。「現代の倫理は、しばしば恋愛の重要性を強調する」。それは、「恋愛の対象となれば、女はみんな美しく見える」からである。相手が恋愛の対象となるまでには、顔の好みも少なからず反映されるだろうが、それだけではダメだというのが戦後以降の恋愛極意だろう。悪者は、「美人」から、美人を好むもの(面食い)へと転換する

みんなが美人である、いや美人になれるのだ。井上はこの「美人平等論」を背後で支える化粧品産業の存在を指摘する。物を買わせるための戦略(広告)の一つは「不安がらせる」こと。「アンタ、これ使ってないの?なんで?美人になれるのに!」。現代でも、「女はみんな美しい」という平等スローガンは変わっていない。むしろ「美人」になれるのにその努力を怠るとはなんて怠惰であろうかという言説に変化している。かつて「美人」は不真面目、怠惰な女のしるしだったが、現代では「不美人」であることこそが怠惰で罪なのである。濃い口紅、べったりとしたアイメイク、舞台メイクのようなシャドウの入った肌。全ての女性が美人になれる過剰かつ作為性たっぷりの化粧は、今や「ナチュラルメイク」にとって変わっている。もちろんこれは、平等から個性(本当の私)の呈示へと見ることもできる。そして、「ナチュラル」の演出こそが一番難しかったりする。「不自然」な私のおてもやんメイクはちょちょいのちょいだ。

鷲田清一は、昨今の女性のメイクの「消極的」な態度を、社会に対するそれと結び付けている。しかし、「美人」は女性だけで作りあげるものではないのだから、それはそのようなメイクを受け入れる社会との合同作品であろう。 美顔、ファッションに積極的にならなくてもよかった男の歴史も徐々に変化しつつある。男がオシャレになったというより、男がやっとこさ対象化されてきだしたということだ。

でも井上さんはそんな時代いやなんだって、自分が面食い宣言しているのに、自分が面で評価されるのはいやだと。それは男女問わずの思いであるかもしれない。でも男性がひょうひょうとそう言うことは、ある種とてもおもしろいパフォーマンスになり得る。 「私はかっこいい人が好きなんですけど、男性が女性を顔だけで選ぶのってどうかと思う」って愉快じゃないでしょう。 井上さんの場合は、「イヤ、ボク、ダサイんですけどね、でも女性は美しくなきゃダメなんですよ~」。ムカつくかもしれないが、呆れさせる、でもそういう立場ってことだね。(前編と同じ締め)

「美人」は何処へ?―井上章一『美人論』『美人コンテスト百年史』(前半)

今年5月にメキシコで行われた「ミス・ユニバース2007」で、日本代表の森理世氏(写真一番右)が第一位に輝いたことは記憶に新しい。私はVTRで大会の様子を途中まで見ていたのだが、なるほど、(欧米的視線で見るところの)アジアンビューティ、エキゾチックビューティが今のトレンドなんだなと思わされた。世界的「美人」といえば、ブロンドで光輝く長い髪、青くて大きな瞳がお決まりだった時代はどこへやら。5人のファイナリストは全て黒髪。その他の代表者も黒髪が多かった。髪型は同じにする決まりがあるのか、みな同じ髪型で、同じように抜群のプロポーション、審査員たちは一体どこで彼女たちを差異化するのだろうかと思ってしまうほどだった。そういう意味で言えば、森氏はユニークだったのでしょうか(病気や怪我によって変形してしまった顔を「ユニークフェイス」というそうだが、もちろんそういった意味ではない。こう規定されてしまうと安易に言葉が使えなくなるなぁ)。

「美人」というものを考えるとき、時代や社会によって「美」観は異なるから、「美人」が何たるかもまた時代や社会によって異なり、変容してきたということは、誰に教わらずとも、歴史の教科書の挿絵や写真などを眺めているうちに知ったことであろう。日本の場合でいえば、丸い眉毛と細い目、しもぶくれの丸い顔、そしておちょぼ口の「平安美人」は、今では「ブス」の婉曲表現ですらある(時代による「美人」観の変容についても、井上は疑問を呈している→後述)。
しかし、時代・社会によって「美人」の内容は異なれど、ともかくいつの時代もどんな社会でも「美人」がいて「不美人」がいるということには変わりない。ではその「美人」と「不美人」の関係、あるいは両者の社会的な位置づけは今も昔も変わらないのか。もっと簡単に言えば、例えば現代では「美人」がちやほやされているとするならば、いつの時代も「美人」は何らかの権力を持ち、それを行使してきたのかということである。井上章一の『美人論』は、「美人」と言われる人々を取り巻く言説を検証することによって、「美人」の取り扱われ方や社会的な位置づけがどのように変化してきたのかを読み解いていく。

今日、「美人」と言われれば、たいていの人が、例えお世辞とわかっていても恥ずかしがりこそすれ悪い気はしないだろう。こちらとしても、「美人」を見るのはやはり目が喜ぶ。「美人」に対するひがみややっかみはあろうが、それも「美人」の優越性を認めているが故の反応であり、現代において「美人」であることは社会的に見ても価値あることであると了承されているだろう。だが、ちょっと時代を遡ると事情は異なってくる。

その美貌で男を惑わし魅きよせ、そして最後には男を破滅させててしまう女は、今でも宿命の女〈ファム・ファタール〉として繰り返し描かれる女性像だが、昭和初期までは、そのような女性たちはもっぱら花柳界の人びとに結び付けられていた。現代のような自由恋愛はありえなかった江戸時代、とりわけ上流社会の結婚は家柄と血筋が重要視され、一度も顔を合わせることもなく結婚の契りが交わされていた時代にあって、ルックスの良し悪しは問題とならない。だから、良家の娘は「美人」である必要はない、例え「美人」であろうともそれをアピールする必要もない。美貌を武器にするのは「卑しい」女の仕事だったのである。
しかし明治期に入ると、新政府による開花政策のひとつとして、士農工商という身分制度が解体される。建前上四民平等になり、華族から平民にいたるまでの結婚の自由が認められた。これによって何が解放されたか、それは「男の面食い」であると井上はいう。「美人」が卑しい者とされていても、それは「美人」であり、魅かれてしまうことには変わりがない。だから本妻とはまた別に、遊郭で女性と遊ばれていたわけだが、19世紀後半には欧米からやっかいな文化が持ち込まれてしまう。「社交」である。

1883年に落成した鹿鳴館とそこでのダンスパーティがその象徴だといえるが、社交の基本は夫婦同伴。それまで公の場にさらす必要もなかった妻の容姿がしげしげと見られる。「こうなると、妻たちも、もうかつての奥方ではありえない」。とりわけこの社交文化の導入は、欧米並みの身体を欧米人にアピールするための場であった。自分たちはもとより、妻も日本人女性の代表として欧米からの視線にまなざされることになる。そうなれば、前近代的なみっともない女などねらい下げだし、「社交」となれば男性とのお相手に慣れている人の方が好ましい。ときの総理大臣、伊藤博文は芸者と結婚している。近代化=ルックス化、自由恋愛=面食い解放というわけである。

確かに身分制度の解体は、ルックスの力を解放した。どこぞの娘かとわからぬような者が総理大臣の妻の座を射止める、そんな社会階層秩序の乱れが起こる。卑しい身分の成り上がり、当然それを嫌がる人びとはいるわけであるし、「美人」=花柳界の「卑しい」人びとという構図はさらに強まる。さらに、「社交化=欧米化」された身体は、国粋主義的な立場から見てもいぶかしいものであった。そこででてきたのが「美人排斥・罪悪論」であり、健康こそが「美人」であるという「衛生美人」というコンセプトである。でもこれは、面食いの欲望が解放された後の、建前上の弁論である。「美人の方がいいに決まってるー」とおおっぴらに言えるように、あるいは「私は美人よ」と大っぴらに言い得るようになってしまったが故の苦肉の策で、「美人はいかん」となど本当は誰も思っちゃいなかったし、「平安美人」同様、「衛生美人」も「不美人」と同義、冷笑的に使われる言葉にすぎない。

面が、ただただその表面が評価の対象となる。それは許せないと、とりわけフェミニズム陣営が言う。性の商品化であると。しかし、表面を、ルックスを売り買いしているという点に関して言えば、男女お互いさまである。私はロマン・デュリス主演作品を甘く甘く見る。ただ、ロマンが出ていれば良かったりする。そこから先のこと、例えば「オカズ」にするとか、職の採用で「美人」を優遇するとか(ホストはあんなに奇妙奇天烈な風貌なのになぜもてる?)はまた別の話である。
女性が男性に、やさしさ、おもしろさ、強さ、頭のよさ・・・そんな移ろいやすいことを求めなければいい、とにかく表面なんだよ、ルックスなんだよと言ってしまえれば。ジャンヌ・モローのように。
 「(あなたが男性に求めるのは)お金ですか、知的な人ですか、有名な人ですか」
 「そんなものは私は持っている。殿方は美しければそれで結構」
そういえる立場、ってことだね。

つづく

石井達郎『男装論』

女性が男装をする、これは現代では少し想像しづらいことなのかもしれない。なぜなら、男性のアイテムのほとんどが、女性たちのファッションとして回収されてしまったからだ。それまでは「男の素材」だったジャージーを積極的に使い、機能的で動きやすく「一人でも脱ぎ着できる」女性の服を作っていったシャネルのファッション革命は有名だ。男性着の代表といってもいいスーツに関しても、OL・キャリアウーマンのパンツスーツの着用が、女性たちの社会進出のしるしとして、日本でも80年代に話題となった。余談だが、私より一回り上の女性たちは、当時のスーツやジャケットをタンスから取り出してみると、まるでアメフト選手のようなその肩(パット)に苦笑してしまうという。でもそれは、男性と肩を並べても引けをとらないような広い肩幅の演出だった。

また、スーツに欠かせないネクタイ。個人的な選択によって、仕事着の一部として身に付けている女性はあまりいないと思うが、学校や職場の制服として取り入れられているところは少なくない(私の中学校の制服も男女ともネクタイだった)。さらに、ファッションの一部としてもネクタイは女性たちに取り入れられている。とはいえ、私が中学校のとき着用していたネクタイがワンタッチ式で、普通のネクタイの締め方を知らないこともあってか、男性がネクタイを付けている様子にはつい見入ってしまう。会社の人たちが、葬式に行くとかでネクタイを着用しなければならなくなったときに、ちょっと慌ててネクタイをしめる姿にもやはりつい見入る。オッサンだろうと見てしまう、じっと。ある女性の友人は、男性がネクタイを締める姿を、男性の色っぽい動作としてあげていた。「椎名桔平の」という限定付きではあったが。
さらに、最後の砦(?)たる、女性のアンダーウェアも、年々シンプルに、機能性重視のものが増えてきている。ボクサーポンツを履いた女性が登場する、90年代のカルバン・クラインの広告は多くの人に強い印象を与えたと思う。

こんな時代にあって、「女性が男装をする」という行為は曖昧だ。たとえ、女性が三つ揃えのスーツを着ていたとしても、「随分とマニッシュな人だな」と思う程度で済んでしまうかもしれない。もしくは「宝塚っぽいね」などと。女性はこれからも男性のファッションを奪って、流用していくだけである。もう奪いつくしたのかもしれないが。しかし、今でこそ女性は当たり前のようにズボンを履くが、女性たちがズボンを公に履きだすのは19世紀中ばのことで、それまでは女性が「二股にわかれたものをはく」ことは「不道徳」なことであった。そんななかで、なぜ女たちが男の服を着ようと思ったのか。
本書の中では、さまざまな時代の男装者たちの実践が紹介される。6千人もの軍隊を率いた男装異端者ジャンヌ・ダルク(1412‐1431)、行方不明になった夫を探しに行くために男装して馬にまたがったアイルランドのクリスチャン・デイヴィス(1678-1739)、男装して男たちと同じように自由に街を練り歩いた作家ジョルジュ・サンド(1804‐1676)、学問世界への参入・イスラム世界(父)との同一化を求めた、ロシア人の両親を持つイザベル・エベラール(1877-1905)、などなど。いずれも、公的空間に参入するため、あるいはその社会から身を守るための手段(いずれにせよ同化だが)として男装が行われた事例である(写真はリュック・ベッソンの『ジャンヌ・ダルク』(1999)より)。

異装というと、同性愛者やトランスセクシュアルの人びとを連想してしまいがちである。しかし、彼女たちは、やむなく男装をしたわけで、必ずしも同性愛者とは限らない。むしろ、男装を行っていくないくなかで、同性の女性に対する恋愛感情が芽生えていく女性たちの事例が興味深い。男装することによってそれまで抑圧されてきたであろう同性愛というセクシュアリティを解放したというのではない、その逆である。男装というパフォーマンスを行っていく中で、そのような感情が芽生えたのである。それほど、男女の2分法は強固であるといえるのだが。男装を行えば必ず同性愛者になるというのではないし、現代の男性を含めた異装者たちがみな同性愛者やトランスセクシャルである、というわけではない。しかし、ファッションは単なる表面的な問題にとどまらないということ。そして、セクシュアリティというものは本質的なものではないということ。

労働や生活のためということとは別に、女性の「男装化」の一端には、19世紀後半に女性のスポーツにたいする関心が高まったのも大きかった(近代オリンピックの誕生)。「スポーツが意外なところで、女性がより機能的な、今まで男性のものとされてきた衣服を着ることに貢献してきたのである」と石井は述べる。

女性たちが、さまざまな理由でもって男性の服を我が物にしてきたのに比べ、男性たちの男らしいファッションはまだまだ強固である。それはむろん、男性が女性の服装を着る必要がないからだが、90年代には日本ではフェミ男なる言葉が登場しピタピタTシャツや可愛らしい男性ファッションが流行ったし、メンズファッションの女性化はすすんでいるといわれている(というより、メンズの女性並みのファッション化)。「女性はいろいろと服装や装飾にバリエーションあっていいねー」などと言われることがたまにあるが、このような「女性たちはズルイ!彼女たちのファッション奪いたい!」という男性たちの欲求がもっともっと盛り上がってくれば、今度は逆に男性が女性たちのファッション(だと思われてきたもの、化粧等を含め)を奪うことになるのかもしれない、というよりそれは起こりつつあるのだが。

女の水着と肌見せ

先日、ある百貨店の女性水着売り場を訪れた。基本はビキニなのだが、姿かたちとしてはブラジャーとショーツそのまんまの姿が、海辺というシチュエーションではその姿の意味が大きく変わるのだからまったく不思議なもんである。だがここ数年、水着も限りなく洋服に近づいている。上から着られるタンクトップやショート/ハーフパンツ、ワンピース、スカートなどがセットになって売られている。
前に紹介した、廣澤榮さんの『黒髪と化粧の昭和史』のなかに、「水着の季節」と題うたれた30年代~80年代までの水着の流行の変遷史がある。マントのようなもので身体を覆い隠していたような時代から、時代を追うごとに徐々に布面積が少なくなり、70年代半ばともなると、60年代のトップレス・身体解放運動をうけてか、上半身がまったくないトップレス水着まで販売されたという。廣澤さんは「どこまで『究極』をきわめるのか」と心配していたらしいが、それ以上「過激に」ならなかったのは、われわれも知るところである。

「メーカーの方であまり使う布が少ないと販売商品としてのメリットがなくなるためだと聞いて思わず笑ってしまった」と廣澤さんは書いているが、当たり前だがすっぽんぽんが流行ったら商売にならないわけである。「なんと淫らな!」という叫びは、「そうなると困る!」という商売人の叫びと手を携えていた。

また布面積が小さいと、商品は売りにくい。デザインが限られてしまって他社製品との差異化をつけにくいということもあるが、布があまり使われていないとどうしても単価を上げにくい。パンツ1枚で1万5,000円で売り出せるのは、超記号価値を有するハイブランドぐらいなもので、一般のメーカーにはそんな価格設定は出来ない。布面積が広い方が当然商売しやすいし、そして限りなく洋服に近づけばファッショントレンド同様に水着のトレンドも回転する。

ところで、去年から今年にかけて大流行りといっていいと思うレギンス(スパッツ)を、「肌見せ恥ずかしい」から履いていると思っている男性が多くてちょっとびっくりしたのだが、そういった面もあるにせよ、業界側の戦略に負うところも大きいのである。何より、コーディネートの妙で勝負する時代であるわけでもあり。

ちなみに、スカートの下にスパッツやパンツ(ズボン)を履くというスタイルを解せないという男性の声をいくつか聞いたことがあったが、考現学者の吉田謙吉さんも、1946年から47年にかけて行った街頭調査でこんなメモを残している。「髪の編み方とセーターの縄編みのアンサンブルはいいが、ズボンとワンピースのコンビがあまり感心できない」。
見せるのか、見せないのか!というぼやきだろう。今さらながら、極めて男性的な視線である。

廣澤榮『黒髪と化粧の昭和史』

タイトル通り、昭和における女性のファッションの変化を追う。著者の廣澤さんは、映画関係者(東宝撮影所助監督→脚本家)であり、考現学者の吉田謙吉さんとともに街頭調査を行っていた経験もあってか、描写が非常に細やか。とりわけ、昭和史となれば、一連の戦争をはずすわけにはいかないが、戦時中の人びとが緊迫したようす、天皇による玉音放送を唖然としながら聞く人びとのようすも、ありありと目の前にうかんでくるようである。

明治時代の終わり頃から徐々に欧米の文化が日本に輸入され、上流層といった一部の人びとに少しづつ受け入れられるようになる。なかでも、身体(ファッションなど)にまつわる新しい思想・文化は、その表面を大きく変えてしまうわけで、目に見えてわかるスキャンダラスな変化であったといえる。洋装で身を包み、濃い化粧を施し、パーマをかけた頭をセットして街を練り歩く新しい女性「モガ(モダンガール)」たちが、昭和初期においては「西洋かぶれ」として批判を浴びていたことは知るところだと思う。
「毒々しい口紅、眼のまわりには隈をとり、頭はチリチリ、練馬大根のような足をさらけ出す」(『女性』1925年12月号)、「世の中の嘲笑と顰蹙の的、未世亡国の兆し」(『経済往来』1926年9月号)といった調子である。

廣澤さんも指摘しているように、批判の的の大半は「モガ」である女性で、「モボ」(モダンボーイ)は槍玉にあまりあがらない。女性が何か新しいことに手を出すことへの恐怖といった、おなじみの男性心理があることは確かであろうが、それ以上に、女性たちの方が新しい文化に魅力を感じ、それらを体現したいという欲求が高かったのである。サムライ、武士道、そんなものを前に男性たちが足踏みしている間に、女性たちは軽やかに洋服をまとう、まとえなくても欲望するのだ。サムライ、武士道が支配する価値観とは別の世界の選択である。


ここで、私が先週行った発表時に話題としてあげられた、女性たちの「ナルシスティックな身体」について少し整理したい。「ナルシスティックな身体」とは、例えば化粧をすることや身を飾ること=自分のため(あるいは異性の目というよりも同性の目を意識した見繕い)という言説でもって語られる女性たちの身体である。こういった言われ方はおなじみであろうし、たびたび紹介してきた上野千鶴子『スカートの下の劇場』では、まさに自己満足のために下着を身につける女性たちの分析が行われている。先日レビューを書いた川村邦光さんの『オトメの身体』においても、実は「ナルシシズムの身体」について言及されている。明治から大正時代にかけて、西洋の社交文化や近代衛生の思想などが輸入されると、それに見合うような西洋的な美をまとった身体=「ブルジョア的身体」が志向、形成されていく。しかし、この「ブルジョア的身体」を形作れるのは、字義通りブルジョアたちだけであって、庶民にはとても手が届かない。そんな女性たちが形成する身体が「ナルシシズムの身体」である。

この時期多く創刊された女性誌によって、庶民の女性たちは「ブルジョア的身体」のイメージを受容する。「私もこんな格好したいな」と思い描きながら、想像的に「ブルジョア的身体」を得るのである。ありったけの布を継ぎ合わせてなんとかワンピースをこしらえて鏡の前で合わせたものもあろうし、苦心して西洋的な髪型を作りうっとりと自身の顔を眺めていたものもあるかもしれない。ただしそれらは、自身が思い描くイメージに補完された上での「ブルジョア的身体」にすぎないことを、おそらく彼女たちは知っている。我に返れば、雑誌のイメージとは似ても似つかぬ哀れな姿に愕然としたことだろう。一瞬でもいいから夢を見たい、そんな彼女たちのイメージで織り成された身体が「ナルシシズムの身体」である。廣澤さんが本書で描いているように、当時は洋装することに対して少なからずの非難や、食い入るような視線もあったから、なかなか洋服で外を出歩くこともできず、家の中だけで、あるいは「私の世界」だけで洋服を身にまとうものも多かったはずである。

「ブルジョアの身体」を獲得できるものは少ない、しかしその身体に憧れるだけのイメージはばら撒かれていたのだ。今も昔も、女性誌の種類・発行部数の多さに、男性誌はとうてい及ばないが、1885年に創刊された「女學雑誌」は1899年には14万部に、1906年創刊の「婦人世界」は最高32万部に、1917年創刊の「主婦之友」は最高180万部と、当時から女性たちの多くが雑誌で描かれる別世界の身体のイメージに夢中になっていたかがわかるだろう。それはもちろん、女性たちのほうが別世界を必要としていたからである(現在の女性/男性誌の発行部数については日本雑誌協会のサイトを参照。エビちゃんcancam一人勝ちです)。


イメージということで言えば、写真の撮り合いやプリクラなどが女性たちに受けたということも指摘できるだろう。イメージでガチガチに固められている、のだ。「映りが悪い」と何度も取り直す、とにかく写真というイメージに自分の身体を落とし込む。というか、イメージが私の身体だったりする。私ごとだが、パリ/ミラノなどファッションコレクション時期には、手足長く頭小さいモデルさんの身体を何週間も一日中眺める。そうすると、私の身体もそうであるかのような錯覚に陥るのだ。ショーウインドウに映る自分の姿を見て「ゲ!足みじかっ!!」と思ったり、これぐらい入るだろうと思って試着したパンツ(ズボン)が入らなかったり・・・。リアルな身体に愕然とするのである。拒食症などの病理も、イメージ、「ナルシシズムの身体」とリアルな身体との区別が出来なくなってしまったというわけだ。


先日、ある人の「マンガを消費する場」についての発表を聞いても思ったが、女性たちは概ね自分の世界のなかで女性(あるいは男性)の身体イメージを消費してきた、と思う。北田暁大(1999)が分析したように、女性はマンガを公の場で堂々と読むことが「恥ずかしい」。それは、女性の欲望は隠すべきものとして認識されているからである。ある日、
電車内で、女性二人(おそらく20代)が雑誌ananaの「SEX特集」について話していた。それを読むのはかまわないけど、車内で読むのはどうなの?という内容だった。男性が週刊誌のSEX特集を読むことは、別に隠すべきことではない。女性は家に帰って、ナルシスティックに消費せよという力が働いている。

話を廣澤さんの本に戻せば、戦争中という抑圧された状況下においても、あの手この手を使っておしゃれな身体を演出しようとしていた女性たちの「美」への意識の高さ――モンペをいかにおしゃれに着こなすか、防災頭巾をいかに美しいものにするか――もまた、男性には到底理解できないことだったであろう。このようなご時勢にパーマとは!!

戦時中であってもおしゃれをしようとする女性たち、それは男性によって始められた戦争への静かなる批判だったのかもしれない。アメリカに負けた、でもずっとおしゃれを抑圧されていた女性たちは、戦争が終わってやっと、今まで夢想していた洋装を存分に楽しめるようになった、のだ。日本のアメリカへの恨みつらみが、他国の敗戦国が勝戦国に対する恨みと比べ少ないのはこうした事情もあるだろう(えーーー慰安婦的な・・・(ちょい小声))。欲望やイメージはあらかじめ存分に与えられた、それが戦時中抑圧された、敗戦後その欲望が解放されたのだ。もちろん私はRAA政策は恥知らず以外のなにものでもない、と思っているが。

川村邦光『オトメの身体―女の近代とセクシュアリティ』

ジェンダー研究者川村邦光さんによる、「オトメ三部作」の第二部。明治から大正・昭和初期にかけては、欧米から新しい思想や価値観が多く輸入された時代だった。そんな欧米化/近代化の時代における、女性たち/女性たちをまなざす社会の「身体観」の変化を論じる。
 
川村氏は近代的な女性の誕生を、1920年に論壇に登場した斉藤桃代が『女學世界』で執筆した一連のエッセイにみている。そこで斉藤は、人形として扱われ、針仕事や家事修業を強要されてもだまってそれを行うような「乙女」を否定し、社会的存在として自立し、唯一絶対の価値である自分自身を大切にする「近代的オトメ」像を描き出し、女性読者たちを鼓舞した。

社会が要請する「良妻賢母」といった型にとらわれることなく、お針ごとをさぼって本を読み学び、内なる衝動に従って「小鳩のようにフリィ」に生きる。こんな斉藤の「オトメ」像には、自由・純粋無垢といった「永遠の幼児」性が内包されている。この斉藤の掲げる「オトメ」=純粋無垢というコンセプトは「自由に生きる」ということで、そこでは単純に、生きたいように生きるといったポジティブな女性像が描かれていた。だが、しだいに女性たちの自称/他称は、「オトメ」から「処女」にとってかわり、純粋無垢は純潔/純血に置き換えられる。


「オトメ」から「処女」へと、女性たちを抑圧する「処女神話」が、平塚らいてうや与謝野晶子といったむしろフェミニストたちによって築きあげられていく。むろん平塚や与謝野は、女性を抑圧しようなどとは思っていない。彼女らの主張は、簡単に言ってしまえば「女性(らしさ)の尊重」である。今でこそ「女らしさ」や「男らしさ」が問われる時代であるが、平塚らはそれまでないがしろにされてきた「女性らしさ」(女性本能、母性愛)を尊べと主張したわけだ。「母性愛神話」は今でも根強く、その神話が母親たちを苦しめているということが指摘されるが、男と違って女は純潔/純血とする「処女神話」もまた、当時の女性たちにヘゲモニックに受け入れられていたというわけだ。


上野千鶴子は、本書を「抑圧的でも解放的でもある『女の近代』へと女性自らが共犯的に関与していく能動性が描かれている」と評している。化粧品によって、白いキレイな肌や艶のある頬、欧米人ような印象的な瞳を手に入れることができる(かもしれない)。だがそれは同時に、「美しくあらねばならない」という価値観の形成に加担することでもあり、その価値観を強固なものとする。このように、解放であると同時にイデオロギーを生み出していく文化――化粧、服装、生理用品等――を、女性たちは煩悶しながらも受容していったのである。

とりわけ興味深く読んだのは、第三章の生理用品にまつわる章。塵紙や綿花を膣内に詰めるといういわゆるタンポン式が、近代衛生の思想が導入されることによって「月経帯」を使用したナプキン式に変わる。この移行には、膣内に挿入=性欲を刺激することを防ぐという、セクシュアリティの管理もめざされていたという。月経帯も布製からゴム製へと変化するが、ゴム製の月経帯を、近代の記号として誇らしげに身につけた女性たち。第一次世界大戦後、欧米並みの身体や体力づくりが目指されたときにあって、「活動的」に動き回れる肌にピタリとくっつくゴム製の月経帯。
ところで、このようにタンポン式→布製の月経帯→ゴム製の月経帯→ナプキン・ショーツ型へと生理用品が移り変わっていく中で、生理の処置法をめぐる母子伝承が衰退したと川村さんはいう。本書は、女性雑誌に送られてきた読者の投書(主に悩み相談)から、当時の女性たちの「煩悶」を読み解いていくのだが、例えばゴム製という新たなメディアが登場したときに、それが本当に身体に害がないのか否かといったことは、それまで布製を使ってきた母親にはわからない。とりあえず娘にはゴム製をあてがうが、娘の方はゴム製の是非や疑問について母親に尋ねることはできず、だからこそ雑誌の読者欄に悩みを訴える。初潮という「かつては共同体的な事柄に属するもの」が、「きわめて私的で個人的な出来事として局限される」。「ケガレ」であった月経の血は、ますます隠すべきものとなっていくというわけだ(上野千鶴子も「スカートの下の劇場」で書いているが、うちの母も少女時代の生理用ショーツは「黒」と決まっていたと語っていた)。こういった母子伝承の衰退が、母と娘の紐帯を消滅させるひとつの契機だったと、川村さんはやや強引に論を閉じる。

わざわざ「生理中でござい」とおおっぴらにすることはなけれど、今ではタブー感覚も薄れてきているとは思う。以前女性二人で、男性一人を目の前に永遠と生理の話をしたことがある。あまりにグロテスクな我々の話に、その男性は「もうやめてくれ~」と頭を抱えてしまった。隠すべきものと女性に要請されてきたものは、男性が聞きたくないことだったりするのだ。
(生理用品にまつわる考察はたくさんなされてきたようである。ジェンダー論的考察はコ・フェ・ミンさんのサイト「女アンドロイドはタンパックスタンポンの夢を見るか」でまとめられている)
 
ここからはツラツラと・・・
ところで、98年に『それいぬ―正しい乙女になるために』というエッセイ集を出した、自称「乙女派文筆家」なる嶽本野ばらは、「オトメ(乙女)」という言葉、あるいはそのコンセプトを再構築した。「ややこし研」によれば、嶽本がいう乙女とは「即自的に乙女的であることに没入しているのではなく、自己批判的・批評的に乙女であることを徹底的に自意識化する・・・(中略)・・・乙女批判を内在した乙女。つまり、弁証法的乙女である」のだそうだ。ゴスロリとか、でしょうか。2000年(00年代後期?)に入って失速した現在の「乙女」は、雑誌「クウネル」読者に代表されるような、スローでロハスなぬるい「乙女」だという。

ピンクハウスファッションも含めたロリータ、ゴスロリ、オリーブ少女など、日本には「おとめちっく」なファッションが多く見られた。「オトメ」という言葉で規定されなくとも、「オトメ」的な人や文化は形を変えて生き残る。誰よりも「オトメ」なTッキー、「オトメの系譜論」なんてどうでしょう?

スティグマ的、あまりにスティグマ的な

 職場のビルには専属の掃除屋さんがいて、毎日掃除をしてくれている。何時に来ているのかわからないが、朝出社すれば、デスクの足元に置かれたゴミ箱はきれいになっている。トイレの掃除、喫煙所の灰皿の取替え、給湯室の掃除、古雑誌・新聞の回収、ビル付近の掃除などなども彼らの仕事である。「彼ら」といったのは、現在男性の方しかいないからであるが、おそらく既にリタイアした方たちだと思う。私は煙草を吸うから喫煙所で灰皿を換える掃除屋さんと遭遇することが多く、世間話なんかもたまにしたりする。
 つい2週間くらい前になるだろうか、彼らの制服が変わった。目もくらむほどのまっ黄色の半袖シャツ。「あ、制服変わったんですねぇ」と言うと、「いや~こんな派手なのちょっと恥ずかしいよねぇ・・・」なんて少し照れていた。確かにまっ黄色は着るのがためらわれる強烈な色かもしれないが、でもそれまでの制服より断然いい、と思えた。なにせそれまでの制服は、カーキとグレーを混ぜたようないかにも「掃除屋さん」といった色の上下で、妙にダボついていたシルエットも野暮ったく見えるもの。掃除するという職業は社会的に低く見られていると思うが、そのようなイメージを維持していくような制服だったのである。くすんだ色の、野暮ったい制服を身につけ掃除を行うことによって、掃除屋さんのイメージがパフォーマンスされる。
 服を着ること=自己表現という考え方はファッション誌でたびたび見かける。すごくその表現が嫌いなのだが、服を着ることは社会にある何かしらのイメージを維持したり強化させたり更新したり壊したりといった、社会に向けてのパフォーマンスである。こんなこと今さら書くことでもないと思うが、これまでの「掃除屋さん」のイメージをある程度くつがえすような制服に出会ったので、改めて指摘しておいた。
 それはファッション・ビル、ルミネの掃除屋さんの制服である。私が見かけたのは20代だとおぼしき女性の掃除屋さんだったのだが、それまでのひと目で見てすぐに「あ、掃除屋さんだ」と認識できるような制服ではなかった。ちょっと前に見たのでうろ覚えなのだが、確か下はスカートで、首にはリボンといった「カワイイ」ものだったと記憶している。警察官の制服、フライトアテンダントの制服などと同様に、この制服に憧れて就職してくる人もそのうち出てくるかもしれない。

トップページへ戻る